呑みながら遅刻しました
人生なにがあるかなんてわからない。あたり前過ぎてヤギが一瞬、真顔でこっち見たけどまあそうなんだ。
noteの街で生まれた(というか発明された)楽しいお祭り、#呑みながら書きました も第7回。これまで第1回からずっとリアルタイムで参加してたのだけど、とうとう叶わなくなった。
おまけに後夜祭にすら間に合ってない。
それにはいろいろあって、そんなの完全に僕の個人的な事情なのでnoteに書いたって仕方ないし、読んでも面白くもない。
とはいえ、もしかしたら1人ぐらい「あれ、今回酔っ払いヤギ見かけないね」と思った人もいるかもいないかもしれない。
端的に「お酒」が呑めなかった。doctor's ordersというわけではないのだけど、酔っぱらうほどは呑めない。本調子ではなかったから。呑むと、一気にずどーんと疲れる。プチ湯治とか行ってだいぶ復活したけど。
そんなわけで、今回は呑み書きを横目にnoteの街をとぼとぼ歩いてた。
あと、noteって意外に(でもないかもしれないけど)仕事関係者が読んでたりする。
読んでますよ~というケースは少なくて、何かの流れで「そう言えば、ふみぐらさんがこの前noteに書いてたじゃないですか」みたいな感じで突然出てくる。それで知るというシステム。
べつにそれはよくて。仕事は仕事でやってるし、読まれたくないなら書かなければいい話だし。
ただ、#呑みながら書きました だけは別なんだ。
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それは、酔っ払いnoteを読まれたくないとかではなくて、なんならちゃんとヤギが酔っぱらってるのを読まれたほうがいい。中途半端じゃなくて。
同時発生的に、いろんな人が誰かに迷惑かけることなくちゃんと酔っぱらう。そして酔ったまま(お酒じゃなくても雰囲気だけでも)筆を走らせた(比喩)Voiceがnoteの街に流れ出す。
ふだんなら、酔った思考とか感情から生まれたテキストなんて次の日には、少しだけ重たい頭の向こうに消え去るのに、それがそのままテキストとして残るというのがすごい。毎回言ってるけど。
しかも、ひとりとかふたりじゃないのだ。これって呑み書き社会学って呼んでもいいんじゃないか。これも毎回言ってる。
ぐらいに思ってるから、余計に自分がちゃんと呑めない酔えないのも含めて、いまの諸々の状況で中途半端な呑み書きを晒すほうがなんとなく自分の中で納得できなかった。なぜなのかは、わからないけど。
なので、今回は「走る人」マークのプロスペックグルタミンを呑みながら誰もいないゴールに遅刻して書きました。