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閲覧履歴にもとづくおすすめ表示の話
ずっとモヤってる人もいると思う。PC版noteタイムラインの「閲覧履歴にもとづくおすすめ」強制表示問題。
まあ、いろんな意味で仕方ないよなと傍観してたんだけど、なんでモヤってるのか構造化して言語化できないのに書きたくなかったというのもある。
いまも全部はできてないけど、あそうかもと思ったのだ。「広告感」がするからモヤるんじゃないかと。
◎強制表示されるのは「広告」扱いされてしまう
広告は嫌われる。媒体広告出身としては複雑な気持ちもあるけど。多くの人がUGCと接するようになってから余計にその感覚は強い。
ユーザーの仮想プライベート領域(そう感じてるユーザーも多い)であるタイムラインに、自分が選択していないコンテンツが入り込んでくることに「広告的」な違和感を感じることがどうしてもあるのだ。
noteは広告表示(ネイティブアド含めて)とランキング表示がないのが大きな特徴。基本的に誰もが創作を続けられるために余計なものは置かない基本姿勢がある。
とはいえnoteさんもピースオブケイクさんという企業が運営するサービスであることには違いない。解放区ではないのだ。当然、そこにはいろんな要素が必要になる。
企業、事業の文脈から全体最適を考えたとき、個々のクリエイター、ユーザーとの齟齬が生じることだってゼロではない。そこはどんなサービスにだってついてくる永遠の課題だから仕方ない。
ただ従来型のモデルとnoteが違うのは、運営側、ユーザー側どちらか一方のベクトルで考えたり動くのではなく、お互いの「創意(いまつくった言葉)」でデザインしていく要素もあるというところ。
運営とユーザーはトレードオフではなく利害も未来も共有して共創できる部分もあると個人的には思ってて。
noteはUGCやCGM的側面を持ってるのはもちろんだけと、なんかそれとは違う次元で「人の魅力」を再発明再発見できるメディア、プラットフォームだと勝手に感じてるのだ。もちろん、そこは人によるんだけど。
◎note独自のユーザー体験=「人感」
人の魅力も多くのメディア、プラットフォームみたいに一部の有名人、影響力ある人の魅力だけに偏らない多様性があるのもnote独特。
もちろんnoteさんは僕の存在なんてほぼ知らないに等しいのもわかってるので、まあ酔っ払いの大言壮語みたいなものかもしれないけど。
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で、例の「閲覧履歴にもとづくおすすめ」強制表示問題がなんで広告感を醸し出してモヤっとするのか。
そこに「人感」が欠けてるからだ。本当にユーザー、クリエイター同士の有益なつながり、そこからさらに創発が生まれるつながりにしたいならちゃんと「人」の信頼感、親近感が担保されていてほしい。
コンテンツさえ良ければいいだろ、興味関心ある分野だからおすすめしちゃうよじゃない。
たとえ良いコンテンツでも興味関心ある分野でも、広告的に表示される(と感じる)ものを無条件に受け入れられる人は少ない。
何かに接したときに、自分で感じて自分で考え自分で消化して自分の感覚を信じて動きたい人ほど余計に「強制」されると、それが良いものでもモヤっとするから。
◎罪もないユーザーがブロックされる事態は悲しい
じゃあ、どうすればいいのか? 一つのヒントは「帯」だ。noteを主にTwitterでRTしてシェアするときの帯。
いまのところTwitterタイムラインの広告頻度は節度が守られてる。一時期あれだったけど、さすがにタイムラインでユーザーのUXを損ねるのと広告露出収益の損失バランスを考え、最適化されてるんだと思う。推測だけど。
この帯で流れてくるnoteはうざくない。嫌な感じがしない。なぜなら「自分が選んだ人」自分がいいと思ったフォロー相手があげてるものだから。ここ重要じゃないのかな。
その人の感覚、センスを好きだったりリスペクトしてたり、おもしれーと思ってるから。パーミッション取れてるから許される。
偉そうに言ってるけど伝わるかな。
ところが現状のnote「閲覧履歴にもとづくおすすめ」はそうなってない。
「誰やねんこいつ」がしれっと紛れ込んでくる。しかも精度もいまひとつ(ここはどんなレコメンド機能も学習課程は仕方ないけど)で、またお前か! が発生したり(その記事主には何の罪もない)、それもう読んだからもあったりで、ユーザー体験としては「広告」をしつこく無理やり見せられてるのと変わらないのだ。
そして最悪なことに、度重なる「閲覧履歴にもとづくおすすめ」にうんざりしたユーザーが、その記事主には何の罪もないとわかりつつ「ブロックする」事態が発生している。これ端的にまずくないですか??
何も悪意がないユーザーをブロックして消すしか「閲覧履歴にもとづくおすすめ」強制表示をどうにかできない現状は決してnoteユーザーと運営も含めたnoteの豊穣な世界の全体最適のためにいいとは思えない。
もちろんこういう施策はいきなり正解不正解はなく、施策を回しながら各種KPIも照らし合わせ改善を重ねていくものなので絶対的な悪手だというわけじゃないです。本当に「知らなかったnoterさん」を発見するひとつの機会にも、もちろんなるし。ただ、いまのところユーザー体験的には負の要素も結構目立ってて。
◎ユーザーの集合知noteの帯的な発想でなんとかできないかな
あとnote全体でのモバイル比率は公表されてないし推測するしかないけど、まあ数字的にはPC比率はどう考えても低いと思うので、この問題もクリティカルではないという判断が出てるのかもしれないけど。
それにこれも推測だけど、いろいろ他にもっと緊急重要度の高い課題問題も山積してそうで、マンパワーとかいろんなリソースの問題もありそうなのはなんとなく感じてます。そこは心苦しくなる。ユーザーとして。
ユーザー側からのそれも雑魚ユーザーからできることなんてほぼないに等しいのだけど、とりあえずnoteは閲覧履歴にもとづくおすすめ強制表示しなくても、Twitterとの好相性と優秀な帯とかで代替できる部分もあるんじゃないかな。
あるいはnoteそのものなシンプルなRT機能(これはこれでいろんな課題はある)つけるとか。
とにかくいまのままだと、ヤマシタ マサトシさんが書かれてた企業さんのnote公式アカウントがなぜ読まれないのかに通底するようなユーザー心理になるかもしれないし、既になってるユーザーもいそう。
そういうのはnoteさんも望んでないと思うんだ。
移動の車内でどうしてもという気持ちになってこの記事書いたので、まちがった認識とか論旨がおかしいとこもあるかもしれない。けど、まあ何かユーザーが一緒に考えて集合知を生かせないのかなと思うんだけど。みんなどう感じてるんだろ?