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大きな話に心が動かないことについて
大きな夢を持ちなさい。野心って大事だよ。壮大すぎるくらいがいいんだよ。
そんなことを直接、間接、婉曲的に言われることってあると思う。若いときはとくに「大人」から言われがちだ。
いや、同じ世代の仲間からだって「なんだよそれ、ちっちぇ夢だな」と笑われる。
どっちかというと僕も口にこそ出さないけれど、小さい夢はあっても「大きな夢」ってないかもしれない。
べつに超現実主義者というわけでもミニマリストでもなく、「夢なんて」と、醒めてるわけでもないのだけど、なぜか昔から「大きな夢」とか「大きな話」にあまり心が動かないのだ。
だからかもしれないけれど、「なんとかを壮大に描いたスペクタクル巨編」的な映画ってあまり興味がわかない。
地球に巨大隕石衝突で人類滅亡危機まであと5日とか。そういうの観たことがないし、これからも観ないだろうな。もし、ほんとにそうなったとしても、たぶんそれでも巨大隕石より小さなことに気を取られてると思う。
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関係あるのかないのかわからないけど、村上春樹さんが昔のエッセイで「その日だけ電車の本数が3倍になる反交通ストが起こってもうれしくない」という趣旨のことを書かれていて、首がもげた。
たしかにそうなのだ。僕も、日常がお祭り的に増幅されてるものより、日常から何かが欠落してる状況になぜか惹かれる。
昨日まであった何かがひっそりとなくなっているような。あるいは、ガードレールの突起に片方だけの手袋がそっと掛けられてる。そういった人生で見かける「断片」はほとんどの人の気を惹かない。
アテンションエコノミーの時代になってずいぶん経つ。瞬間的に過剰な状況とかイベントは文字通り「祭り」になって盛り上がるけど、何かがひっそり消えていくことが気になるのは相変わらず、ごく一部の人たちだけだ。
まあでも、それでいいのかもしれない。小さなことを無理やり増幅させて大きくして注目させることもできなくはないけど、そういうのって本意ではないのだろうから。
大きな夢の話がどうでもいい話になってしまったけれど、人生の小さな断片って意外に忘れないものだし、そういうものの寄せ集めで人生ってできてると考えたら、大きな夢とか大きな話を持ってなくても、それはそれでいいものなのだ。
それに、小さな夢がたくさん集まってるのも悪くない。無数の星がきらめいているみたいにね。