12月のある晴れた夜に100パーセントの味と出会うことについて
「強いて言えば、あれかな。欠点がないことが欠点かな」
たまに、そんな表現が飛んでくることがある。なんか、いかにもおっさんとかが言いそうなんだけど、意外と奥が深い。
一般的には欠点はないほうがいいと思われている。新しい企画でも新商品でもなんでも「欠点」のほうが目立つと、なかなか上の人たちからいい顔をしてもらえない。
だから欠点はできるだけ減らすか目立たないようにするのだ。だけど、それって本当にいいことなんだろうか。
デザイン工学を研究している大学の先生から、こんな話を伺ったことがある。
とある嗜好品的食品の新商品開発のために、サンプルの官能評価試験を行ったときのこと。官能っていわゆる「五感」で感じる味や匂い、見た目などのことっすね。
結果をグラフィカルモデリングという解析手法(変数間の依存関係をグラフ表現できるモデリング手法)を使って分析すると、意外なことがわかったのだという。
えっと、グラフィカルモデリングの話そのものも、探索的なモデリングでおもしろいのだけど正直、難しすぎて僕の脳が追いつかない。
びっくりするぐらいざっくり言うと、従来の認識では「これって欠点だよね」という変数間に特徴的な相関があったのだ。
たとえば、味で言えば「苦い」「後味が強い」という欠点っぽい要素がトータルでは「好き」につながってたりということ。むしろ100%の味(理屈の上では可能なのだ)に仕上げてしまうと、トータルでは好きの評価が下がる。
なんだけど、難しいのは「欠点」って目立ってしまうのだ。良くも悪くも。
なにかの企画や新しいものをつくるときにも、あるポイントだけで切り取ってみると欠点が強く前に出すぎてるので、そこをまろやかにしたくなるわけです。
だけど欠点は裏返せば特徴でもある。グラフィカルモデリングでの分析のように。
いまって、とにかく何でも「欠点を潰すこと」「誰からも文句が出ないもの」が求められる風潮がありますよね。
そのほうがいろいろ面倒くさくないから、みんなそっちに走る。結果、どこかで見たような無難なものがたくさん量産されるという構図。
ちょっと前なら「欠点の裏返しは特徴だ!」みたいなことを言っても、あまりロジカルに聞こえなかった。
だけどいまは、データサイエンスや感性工学の力で、これまで見落とされてきた真実が提示されるようになってきている。気になってしまう「欠点」すら、人の気持ちを動かす重要な構成要素だってことがちょっとずつ明らかになっているのだ。
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そう考えると、村上春樹さんの初期の短編『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて』(この作品、好きな人多いんですね。村上さんは自分では「そんなに」だけどファンの支持が高いんだとか)で、30歳と32歳になったふたりが14年後に原宿の裏通りを文字通り「すれ違った」物語も違う味わいを帯びてくる。
彼らはお互いが「100パーセント」であることに微かな疑いを持ってしまったために哀しい結末を迎えた。わずかな欠点があれば、あんなふうにお互いの運命を試すこともしなかったかもしれないのに。
モノづくりでもサービスでも、そして恋人やパートナーとの関係でも「欠点が何もない」ことは逆に、相手やユーザーとの結びつきがフラットすぎてうまくいかなかったり、あるいはうさんくさくて脆いかもしれないのだ。
それによく考えたら「欠点」っていう概念は相対的なものであって絶対的ではないよね。宇宙をひとりで漂流する人に欠点は存在しない。
「欠点がないことが欠点」
ウィスキーが言葉になる寸前、氷が音を立てて小さく崩れるぐらいには真実を言い表してるのかもしれない。
※昔のnoteのリライト再放送です