耳なし芳一スーツ
ある仕事の絡みでスーツ販売店に行くことになった。よくあるセレクト系のプライスラインが固定された店のひとつだ。
その店は新業態のテストケースとして、店内で体形を三次元測定し、そのデータを工場に送って「本当に体形に合ったスーツ」を数日で届けるサービスをするのだという。
まあ、べつにすごく目新しいわけではない。ゾゾスーツみたいなものなんだろう。それでも、なぜかその店に出向いて体験してほしいと言われたので行ってみた。
店は外観も内装も、とくに何か「斬新」という感じはしない。あまり尖り過ぎないほうがいまの時代のお客さんには好まれるのかもしれない。
担当者の名前を告げて、三次元測定スーツの体験に伺ったことをスタッフに伝える。スタッフに案内されたのは、ごくふつうの試着室だ。
壁とか天井とかどこかに三次元測定機のレンズとか3Dスキャナー的なものが仕込まれてるのかとキョロキョロしてみるけれど、とくに何もない。白っぽい壁の向こうから、静かにハウス系のBGMが聞こえてくる。
「失礼しますよ」
低い声がして試着室の扉が開いた。失礼しますじゃなく、失礼しますよって何なんだ? 疑問符と共に僕の目の前に現れたのは、黒いスーツを着たおじさん。控えめに言っても、こういう店で接客をしそうなタイプではない。
同時におじさんの手に目がいく。ラメでも入っているかのようにキラキラ光る手袋をしているのだ。
まさかと思ったら、その手袋で全身を測定するのだという。つまり、その、あれですね。おじさんが僕の全身をその手袋でくまなく採寸してくれると。
しかも最新のセンサーが装着されてるのかと思ったら、ただの手袋だという。
「キラキラしてるほうがいいですから」
おじさんは手袋を僕の顔の前にかざしながら言う。まったく意味が分からない。だけど、これも仕事だし、おじさんも仕事なのだ。僕は諦めて、おじさんに三次元測定してもらう。何周か回って新しいのかもしれない。
ただ、さすがに股間を測定されるのは気まずいので、そこはいいですとやんわり拒否した。
それがいけなかったらしい。数日後、ものの見事に股間部分が空白になったスーツが届いた。
全体はすごくいい。シルエットもフィット感も申し分ない。そりゃそうだ。三次元で測定されてるのだから。なのに股間が空白。まるで耳なし芳一だ。まさかスーツでそんなことになるとは。
なんとかこのスーツを無駄にしない方法はないのかなと考えているけど、いまのところまだ思いつかない。