答えでふしぎな気持ちになる
人生は封印された謎なぞのようなものだ。
と書いてみたけど、とくに深い意味はない。「人生は~」ではじまって「のようなものだ」で終わる人生構文を使うと、どんな書き出しでもそれっぽくなる。
人生は3日目のカレーのようなものだ。
人生は猫パンチのようなものだ。
人生はロンギヌスの槍のようなものだ。
ほらね。なんとなく意味深く思えてしまう。どれも意味はないけど。
*
いま、欲しいものがある。昼休み、唐突に妻が言った。
あ、フリーランスのふたりなので会社じゃないんだけど、なんとなくそういうテイで昼になることがある。
3文字だよという。いきなりのクイズだ。そういうのたまにある。
3文字で欲しいもの……「やすみ」? ではないらしい。概念ではなく物体だって。
これは純粋に「欲しいものクイズ」なんだろうか。それともメタ的な何かメッセージなんだろうか。どっちもあり得ると思いつつ、でも答えを探す。
外で使うもの?
ノーヒントではさすがに日が暮れそうなので、ヒントをもらう。
外でも中でも使う。なるほど。
いまも持ってるもの?
いまも、持ってるものらしい。
ピアス? ではない。マウス? 近い!
わからん。
おじさんがハマるものだよ。妻が言う。なんだそれは。
ゴルフ?
それ、欲しいとかじゃないよね。
外でも中でも使えて、いまも持っていて、おじさんがハマるもの……。
こういうとき、何がなんでも絶対に自分で答えにたどり着きたいときと、そうでもないときがある。ないですかね。
*
きょうは、そうでもない日だったので素直に降参して答えを教えてもらう。
「レンズ」
はー、それか! 言われてみればたしかにそうだ。外でも中でも使えて、いまも持っていて、レンズ沼にハマってるおじさんはたくさんいる。
100mmのが欲しいんだよね。
APS-Cで100mmの単焦点レンズ。なんとなくわかる気もする。広角で見たいのでもなく望遠でもなく、なにか「これ」というものをちゃんと浮かび上がらせる。そのイメージだと100mmってなるよな。
欲しいものクイズというか謎なぞが解けて「レンズが欲しい」と知るのと、そういうの何もなくて「レンズが欲しい」と聞くのでは何かが違ってくる。
同じことなのに、ふしぎっちゃふしぎだな。