共感とは違う何か
共感はできないけど、いい方向になったらいいなと思いながらスキを押す。少年Bさんの記事を読んで、そうなんだよなぁと自分の中で何かがポチッとなった。
ほんとそうなんだ。「共感」て便利な言葉だから多用されるけど、本当のところその人の固有の経験は誰にも「感じる」ことなんてできない。もしできる人がいるならその人は特殊能力があるんだろう。
そんなことを書くと「ひどい!本当に共感したのに!泣きそうなのに」と罵られるかもしれないけど、そこは僕も同じ。誰かの体験を見聞きして心が変な感じに動くことはもちろんある。
だけど、それはその相手と同じ心の動きではないし、行く末も違う。何よりその相手は、それをもしかしたらずっと自分の中に持ち続けるのだ。そのときだけのことではない。第三者が同じようにずっと感じ続けることはできない。
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人はそれぞれの心に地獄を抱えていると言ったのは誰だったっけ。でもそれを地獄と思わない人もいるし、認識はしても気にしない人もいれば、わざわざ地獄の蓋を開けて悶絶してる人もいる。ほんと、それぞれだ。
難しいものは難しいし、わからないものはわからない。だから個人的には簡単に「共感」を使いたくない。
誰かの話に自分の心が何かを感じたら、相手の話は受け止めた上で、本当の意味で共感はできないし、わからないけど「いいようになれば」と思う本当の気持ちは伝えられるといいなと思うのだ。
共感とはちょっと違うけど、ほんとにそう思うよという気持ちを込めて。