創るとは傷をつくること
敵わないなぁ、でも近づけるといいな。憧れとか目標ともちょっと違うのだけど、そんなふうに思う人がいる。
樹木希林さんもその一人。亡くなられたけれど、そうは思わない人の一人なんだけど「人間を削って削って中心に見える何か」として、僕の中ではずっとリアルに生き続けてる。
お会いしたこともないし、役者としてのすごいファンだったというのでもない。だったら何を自分ごときがというのもある。不遜だ。あえて言うなら人間としてのファンなのかもしれない。
でも、折に触れて樹木希林さんの言葉に触れるたびに、どうしようもなく生々しく響いてくるものがある。たぶん、その言葉が単なる言葉じゃなく「人間の言葉」だからだ。
言葉は基本的に人間がしゃべるのだから(ロボットも発話できるけど)、誰がどんな言葉をしゃべったって人間の言葉なんじゃないか。そう考えるのがふつうなのかもしれない。
でも、僕自身も含めて案外、言葉はしゃべったりこうしてテキストにしていても「人間の言葉」は出してない。
ありふれた表現をすれば「裸の言葉」。それも意図して裸になったのではなく、そのままのネイキッドな言葉。誰かにこう思われる、思われたいとか、そんなのを遥かにどうでもよくした次元にある人間の言葉。
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だからって樹木希林さんの言葉が高尚だとか、人間として上だとかそういうのでもない。
芸能界という純粋さと魑魅魍魎さの渦巻く世界を長く生きて来られたのだから、一筋縄ではいかない部分も持たれている。だけど、それも「人間」だなと思う。
業界は違っても、いろんな意味でかたちになるものならないもの織り交ぜながら「何かを創る」ときに、こんな言葉も思い出す。
「創るっていうのは、傷なのよ」
たしかに。「裂創」「創痍」「絆創膏」。傷を表す言葉に「創」の字が使われる。
そう考えれば、何か創るたびに傷を増やしているわけだ。それはすごくわかる。僕レベルなんかでも、何かひとつ創れたとしてもその何十倍も傷ばかりつくってる。かっこよくもなんともない話。
希林さんクラスでさえ、創ることは傷と仰っておられるのはそれだけで励まされる。
だからね、とこうも言われていた。
「やらなきゃいけないのは、自分の綻びを繕いながら生きること」
それは役者論であり生き方であり「人間」の言葉だなと思う。かっこいいフレーズでも、パワーワードでもないけれどずっと刺さってる。