ポケットには子犬を入れて(再放送)
鍵、スマホ。あと、それから財布。
多くても、それくらいのものだろうという予想は、あっけなく外れた。世の中の人は、ちょっとよくわからないものをポケットに入れて持ち歩いているのだ。たとえば、知恵の輪とか。
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「この前、乗ってた電車が止まっちゃったんですよ。そんとき、前に座ってたカップルの男の子が、ほらって、ポケットから知恵の輪取り出して彼女に渡してて、これが解けたら電車動くよって」
オフショア開発系の仕事をしているNさんは、それ以来、だいたいいつもポケットに知恵の輪を持ち歩いている。
唐辛子の小袋をポケットに入れているのは、都内の大学3年K君。
「パスタとか、ハンバーガーとか、なんでもいいんですけど、なんか味が足りねーなってとき、あると超便利なんですよ。牛丼とか買ったら、もらって余るじゃないですか」
小瓶で持ち歩けばいいのにと思うけど、そういうのは、なんか違うらしい。
ある研究機関でアナリストの仕事をしているFさんは、外出するときメジャーを忘れない。
メジャーと言っても、小柄な彼女の手のひらに入るくらい小さくて、水色に白い雲の模様が浮かんだデザインがかわいい。フィンランドに旅行した時、雑貨店で見つけて衝動買いしてしまった。
「ふつうに歩いてて、お店とか入って、あ、これかわいいなって思うのがあったら、とりあえず測ってみるんですよ。幅とか奥行きとか。
それで、自分の部屋の大きさとか間取りと頭の中で合わせてみて、ほとんど妄想ですね。はまれば、よしよしって」
僕は、そんなみんなのポケットの話を聞いて、子犬の温もりくらいのしあわせを感じる。
誰かに頼まれたわけでも、誰かの役に立つわけでもない小さな温もり。
人は、みんなそれぞれのポケットに自分だけの子犬を入れて持ち歩いているのだ。そして、ときどき、そっと取り出して確かめる。
子犬は、不思議そうにあたりを見渡している。
夕暮れの町で、いろんな人がいろんな方向に歩いていくのを眺めながら、首を傾げ、また瞼を閉じてポケットの中で眠りにつく。
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僕は、この話を電話の向こうの彼女に伝える。
「でも」と彼女が言う。
「世界中の人たちが、みんなポケットに温かい子犬を入れて持ち歩いてるの。それで、とても大事な電信柱を思い出したみたいな顔をして、一斉に立ち止まって動けないのよ」
※昔のnoteのリライト再放送です