誰も気にしない虫たちからの伝言
「虫」と聞いただけで「嫌い」「不快」な反応をする人のほうが多いのかもしれない。
家の中に知らない虫が闖入してきた日には、心の中で漫画みたいに「ぎゃー」と声が出る。わかります。誰も読みたくないですよね、虫の話なんて。
だけど虫のことを無視(言いたかっただけ)もできないのだ。なぜなら知らないところで自分たちのライフにすっごく関わってるから。
端的に言えば、現在、地球上からすごい勢いで虫たちの数が減っている。
さまざまな国や地域の大学などの研究機関の調査では、ほぼ世界のあらゆる場所で昆虫(厳密には昆虫と虫の定義は違うけど、一般的にはほぼ同じで大丈夫です)の種と数が激減してるのだ。
一説では今後数十年の間に、昆虫全体の40%が絶滅する可能性が高い。
え、虫がいなくなったらそのほうが快適じゃん。一瞬そう思いそうになるかもしれないけど、実際には虫の種類と数が本当に激減したときに待っているのは快適さとは真逆。
みんなの嫌われ者の、あのGとかハエとかが大量発生し、それはそれはおぞましいことになる(可能性が高い)。虫の世界のパワーバランスが変わるとそういう未来が待っている(可能性が高い)。
いちいちもやっとする書き方をしてるのは、僕が昆虫学とか生態系とか環境学の専門家でもそっちのライターでもないからだ。あくまで勝手に思ってる話。
だけど個人的には里山暮らしでも、昆虫や植物を取り巻くいろんな異変を目の当りにしてるし、何十年も土や虫たちと肌感覚で接してきた農家の人たちの話も聞いてると、結構危機感ある。
このまま虫たちが順調に減っていくと、食はもちろん人間生活のいろんな方面で影響が出てくる。
そんなこと言われても虫とか興味ないし、とくに関係ないからと思う人を責めてるわけじゃない。僕だって以前はそうだったのだから。
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ただ、本当に「人」と「昆虫」って敵対関係だったり忌諱しなくちゃいけないことなんだろうか。というか、そもそもなんで人はこんなに「虫」を遠ざけたがるんだろう。
平林勇さんのnoteを読んで、それもあるかもと思った。
それにも関わらず、昆虫と言えばなんでも嫌いという人が本当に多いです。その理由は「気持ち悪いから」「得体が知れないから」「何を考えてるかわからないから」だったりします。これらの理由は、人間を差別する時と同じ理由です。
でも、カブトムシや、トンボ、バッタ、カマキリ、テントウムシなんかで、いちいちギャーッ!と言わないで欲しいと思います。これは「子供の前で」です。大人が一人で勝手にギャーギャー言ってる事に関しては、何とも思いません。ムシ嫌いな大人にならないために、子供たちの前でギャーギャー言わないで欲しいと思ってるんです。
刷り込みだ。子供が虫に触れようものなら「ダメ!!」「やめて!!」という親は結構多い。もちろん素手で触れないほうがいい虫だっているから、なんでもフリーダムに子供が虫と戯れるのがいいわけじゃない。
なんだけど、平林さんが書かれてたように、明らかに大丈夫な昆虫にまで子供に大人が「ぎゃーっ」と刷り込まなくてもいいと思うのだ。
とりあえず人間の暮らす環境に虫が入り込むと、なぜか居心地悪くなる。養老孟司先生はそんな現象を「脳化社会」と指摘されている。
人間にだけ快適なように脳が最適化してつくりあげたのが、現在の社会の姿。そこでは自然界の生きものや現象は文字通り「バグ」になる。バグは修正すべきものだから、ある意味、虫に拒絶反応が湧くのは正しい。
ただ、人間にとって正しいことが、人間も含めた生きものレベルで正しいかどうかはわからないのだ。