見出し画像

裸の幽霊と会った話

こんなふうに書くと、まるで怪談のようなのだけど。残念ながらそういうのではない。そっちを期待した人は、そっとページを閉じてもらえれば幸いです。

昔から「なぜ幽霊は服を着ているのか問題」はずっとある。一部ではそこの考察が熱心になされているらしい。言われてみれば不思議だ。

だけど、僕が出会ったのはこれから夏のシーズン本番を迎える幽霊ではなく、どっちかというと概念としての幽霊だ。背筋が凍る系ではなく、実体がどこかに行ってしまっているタイプ。

何かがどうにかなって権力者と呼ばれる人たちを取材することがある。稀にだけど。

どんな世界のどういう権力者なのかはオープンには書かかないほうがいいと思う。まあそういうことだ。

で、個人的にはべつにその「権力」にあまり興味はない。だから僕なんかのところに話がくるのかもしれない。

それも、僕が出会うことが多いのは晩年の権力者だ。いろんな意味で。

権力の絶頂にいるときには僕クラスの人間なんて、とうてい近づけるものでもないし「下界」すぎて出会わなくて当然だろう。

そうではなく、取り巻きやなんやかんやが潮が引くように少しずつ離れ始めた権力者の黄昏。そこの空白に呼ばれて話を聞く。そこの位相は嫌いじゃない。ある種の余白のようなこぼれた取材。

既にすごく注目される存在ではなくなってるから、いろんな意味でお互いに気も楽。

向こうの自慢話に終始することもあれば、まったく関係のないとんでもない話をしてくれたり、そんなことより君の話を聞きたいと言われることもある。まあ、いろいろだ。

一応「取材」なので記事になる本筋の話ももちろん聞かせてもらう。だけど、正直に言えば、そこはある程度ちゃんと聞ければもっと掘りたいということは少ない。

権力者が動かしているもの、動かしてきたものにそこまでの興味はない。

昔の話。あるメディアで晩年の権力者を取材したときのことだ。その誰もが知る権力者はいろいろあって、もうその座は長くないだろうと言われていた。そんなタイミングで取材をすることになった。

べつに僕らもどうしてもその人に会って話を聞きたいわけではなかった。まあ、そこもいろいろあるのだ。

その権力者のピークは明らかにすぎていた。とはいえ、ある地位にまだ留まっていることは事実なので、当然、いろいろ面倒くさい手続きやら準備は必要だった。

外部の人間と応対するための部屋で僕らが待っていると、その人が現れると同時に隣の部屋からもふたりの男たちがすっと現れ、権力者のサイドテーブルに、マーカーが引かれた書類をいくつかの束で置いた。

マーカーがひかれた箇所を話せばいい、ということだ。別の見方をすれば、それ以外のところは話すなということでもある。

書類の束を置いていった男たちの顔をちらっと見ても、そこには見事なまでの無しかなかった。あれほど完全な無に出会ったのは三人目だ。そのうちMoMAに展示されるかもしれない。

権力者はマーカーの箇所から外れることなく、取材に応じてくれた。

話しを聞きながら「この人はもうどこにもいない」と思った。昔の「その人」はメディア越しでも、ちゃんと「その人」が存在していた。好き嫌いは別にしても。

ある地位に就いてから、その人は少しずつ消えていった。その代りに周囲に求められる「ある人物」に変わっていった。すごく雑に言えば、権力と引き換えにだ。

よくわからないふしぎな力に魅入られたのか、取り込まれたのか、操られたのか。もしかしたら全部かもしれない。

それでも権力を与えられているうちはいい。何かがどうにかなって、ちょっとした弾みで権力の糸が解けていくと、そこにはまるで実体をなくした幽霊のような存在が姿を現す。その瞬間のほうが「権力」よりも興味がある。嫌な意味にとられるかもしれないけど、

「裸の王様」は本当の話なんだなと思う。外からはどんなにいろんなものをまとってるように見えても、やっぱり裸なのだ。

裸の王様でも裸の権力者でも周りから持ち上げられているあいだはいい。それすらなくなり、着るものもなく裸のまま幽霊になってしまうかつての権力者。

けれども話すべき個所にマーカーを引いていた人たちは、とくに何の感慨もなくまた次の権力者のためにマーカーを引くだけだ。

いったいこの世界は誰が何のためにどう動かしているんだろう。裸になった権力者の幽霊と出会うと、そのことをいつも思う。

※昔のnoteのリライト再放送です