猫のわからない
僕は猫を愛している。なぜだかは、わからない。ヤギなのに。
ソクラテスは「わからないことをわからないまま愛すること」の重要さを説いた。
いや、ご存知のとおりソクラテスは生涯にわたって一切「結論」めいたことは話さず、自ら何も書き残さなかった。
だから、さっきの「ことば」は僕が勝手に触れてそう感じてるだけ。
猫は哲学だ。あるいは叡智。尊い。
何を考えてるのか。何を目指してるのか。何を感じてるのか。
猫は何も考えてないし、目指すものもとくにないし、感じるけどそれをことばで表明もしない。
というのも僕の勝手な推測で、ほんとは日々思考し、目指すにゃにかがあって、いろんなこと感じて表明してるかもしれない。わからない。
*
猫の時間は、とろんとしてる。止まってるわけでなく、リニアに流れ進んでるのでもなく。
その、とろんとした猫の時間にどうにか自分も入れないものか。
とろんとした時間に混じってるとき、僕は少しだけ猫そのものを感じる。感じるだけで何も判りはしない。
同時に、ああこれ以上わかろうとしてはいけないなと思う。
わかろうとすると猫は自分から離れていく。
その、わからなさが猫そのものであり、猫を愛することなんだ。