肥満都市 東京
東京にきて3年。
まだ慣れないことだらけだ。
満員電車でに走り込む人。
電車の椅子のヘリを背もたれとして死守する人。
端の席が空いたから、すっとズレる人。
エスカレーターを歩く人。
エスカレーターの右側が詰まって歩けないと舌打ちをする人。
少しのことで鳴り響くクラクション。
お年寄りにも急げと言わんばかりのプレッシャーをかける人。
東京という町だけがそうだというわけじゃないのもわかっている。これだから東京は、といって一括りにして、不満を漏らしている自分も嫌いだ。
人も物も情報も、世界規模で過多なこの町に何度も飲み込まれるんじゃないかと思った。
キラキラした人を眺めては羨んだり、横暴な人を見ては蔑んだり。
ここにいると自分の愚かさをあぶり出されるような気がしてしょうがない。
東京にいる利権のようなものの恩恵を受けなかったわけではない。終電は遅くまである。交通網はびっくりするほど、細やかだ。逃してもすぐ来る電車に助けられた。流行りのスイーツをすぐ食べにいける。おしゃれなフレンチだってたくさんある。
そんな恩恵と、忙しさと、苦しさで、心も体もブクブクと太った。東京が絶対的な都市として信じて進んできた。会社の上司も後輩も、町いくひとも、テレビも新聞も、みんな潜在的にそう思っていて、それを受容した僕もどんどんと太った。
そんでもって弾けた。
だからなんだって言うんだ。
東京と、そこにいるひとへのヘイトが溜まりすぎて、なんだかどうでもよくなった。
人と比べてもしょうがない。相手はよく知らない他人だ。その人にはその人の悲しみがあって、喜びもある。
劣等感と責任感に苛まれて生きてきたけど、もうやめだ。
まずは仕事をやめた。
転職した。
びっくりした。仕事が楽しい。
やりたいことをやる。やりたくないことはやらない。気が乗らないとかではなく、心からやりたくないことはやらない。
僕は目標がある。社長になる。お店をやる。居場所を自分で作る。
だから春には九州へ戻る。故郷だ。
だけど、ではなく、だから、戻る。
あんなに出たかった逃げたかったあの町に今は愛しささえ覚える。勝手だなと思う。でも、これでいい。揺るぎない。
東京で出会った大好きなひともいる。要はそういうことだ。好きな人と付き合っていく。合わない人のことを気にしてもしょうがない。
今は前の何倍も東京が好きだ。ヘイトもない。
東京にいる人は恵まれている。のではなくて、恵まれたいから東京にいるのだと思う。いい町だと思う。
ここにいたら、僕は東京を理由に安穏とした生活をして、目標も失いそうだ。
だから、僕は春に脱肥満をする。