それでも人生は美しいー韓国ドラマ「まぶしくて」① <あらすじ>
2019年に放映された韓国ドラマ「まぶしくて」の感想を書きたいと思います。 長くなりそうなので記事は4つに分けます。 まずは簡単なあらすじから。
注意!!
このドラマはあらすじネタバレ等を見ずに視聴した方が絶対によいドラマです(←映画シックスセンスなみと言ってよいかと! )
未視聴の方は、この記事を読まずに、まずドラマ本編を楽しむことをおすすめします。
少女だったある日、ヘジャは自由に時間を戻せる時計を海岸で拾った。 失敗するたびに、時計で時間を遡りリカバリーをするヘジャ。しかしその力を使うと、周りより時間が速く進んでしまうことに気づく。 成長のスピードが加速してしまうのだ。それ以来、使うのを封印していた。
時がたち、大人となり、アナウンサーを目指しているヘジャは、記者志望の男ジュナと知り合う。 家庭環境の複雑さからの癒えない傷を抱えながら、祖母と二人慎ましやかに生きている人間だ。 ヘジャに痛々しい過去を語るジュナ。 聞きながら彼の境遇に涙するヘジャ。 惹かれあっていく二人。
そんな中、ヘジャの父が事故にあう。 ヘジャは病院へとかけつける。 タクシードライバーとして働く父がトラックと衝突したのだった。 そして父はそのまま帰らぬ人に。 。
悲嘆にくれるヘジャは封印していた時計を使って時間を遡り父を助けることを決意。
何度も失敗を繰り返しながら、時間を遡るヘジャ。 しかしそれでもどうしても父の窮地を救えない。
「どんなことをしても救いたい人なら、何度でも挑戦するんだ」
偶然会ったジュナは事情も全くわからないままに、ヘジャを後押しする。
「ありがとう。 その言葉が聞きたかった」ヘジャはお礼を言う。
諦めず時を遡り続けるヘジャ。 ついに彼女は父親の窮地を救うタイミングにたどり着き、命は繋がれる。
そうして朝が来て、生きている父に会い喜ぶヘジャ。家族の前に現れた彼女に、しかし家族が驚く。
彼女の容貌は、すっかりおばあさんになっていたのだ。
何度も何度も時計の力を使ったため、ヘジャの時間だけ、かなり早く進んでしまった。 また時間を戻そうにも、時計は壊れてしまった。急に老婆となってしまった絶望を叫ぶヘジャ。
一方、ジュナはろくでなしでクズの父親と家で出くわし、自作自演の暴行事件をデッチあげて警察に逮捕させる。祖母は息子を助けるため内緒で真実を警察に告げにいく。それを知らぬジュナに辛そうに謝罪の言葉をかける祖母。そしてその日、彼女は息絶えて急死してしまう。自分が死なせたような罪悪感と一人になった孤独から、嘆き苦しむジュナ。何も告げずにヘジャもいなくなり(本当はいるのですが)祖母までいなくなったことで、ジュナは自暴自棄な酒浸りの男に。
父親から訴えられたことで志望していた記者の道も閉ざされ、知り合いの男から誘われた、老人相手に高額栄養食品を売りつけるデイサービスのようなあやしい老人広報館でジュナは働き始める。 25歳に戻りジュナにまた会いたい老人ヘジャと、無気力な瞳のジュナが、そこで交錯していく。 ヘジャの両親、親のすねをかじりながらネット配信してこずかいを稼いでいるヘジャの兄、ヘジャの二人の幼馴染、広報館にやってくる老人たち、これらの人たちとの交流を交えながら、ストーリーは進んでいく。
ある日、投げ捨ててなくした時間を遡れるあの時計をしている老人をヘジャは広報館で発見する。 この男も時計の力で老人になったのか? そしてその後、その老人の若かりし姿と偶然出会う。 やはりあの時計はヘジャの時計なのだと思う。なんとかその時計を手に入れ元の姿に戻りたい彼女は策を練るが、あの事故で実は父親の片足が切断されていたことを知り、物事はすべて等価交換だと、自分の人生の時間だけでは父のすべてを救えなかったと、自分が元の姿に戻った時、再び父の命は失われるだろうと悟り、そのまま老婆の姿で生きることを覚悟する。
しかし、死にたい気持ちに耐えながらなんとか生きてるジュナにとって、25歳の若いヘジャとの思い出は、唯一の希望だった。また会えるかもしれない希望も捨てられないのだった。 望むまいとしても恋しく思ってしまう存在なのだった。
ヘジャとジュナが仲良くしていた老女「シャネルおばあさん」がいなくなり水死体で発見される。 彼女の面倒をよくみていたことで、知らぬ間に保険金の受取人となっていたジュナは、殺人を疑われ警察に拘束される。 事実を話すだけで弁明は何もしないジュナ。 ジュナを開放しろと警察に押しかけるヘジャと広報館の老人たち。 結局おばあさんの遺書が発見され釈放されるが、広報館の社長たちにお金目当てで自宅に乗り込まれ、そのままジュナは拉致される。 彼らはジュナに暴行を加え、広報館の地下室へと監禁する。 さらには、保険をかけた老人たちをバス旅行に連れ出し、事故に見せかけ、一気に命を奪う計画をたてる
そのことに気づいたヘジャは保険未加入のためピクニックに誘われなかった老人たちと徒党を組み、ジュナや老人たちを助けだすことに。老人たちは荒野の七人のごとく自分たちの隠されたる能力を発揮しつつ大活躍し、救出作戦は大成功する。 助け出されるとき、ジュナは老ヘジャに25歳のヘジャの面影を重ねる。
夕日の落ちていく海に人生を重ねるように眺める老人たちとジュナを乗せ、脱出劇から抜け出したバスは進んでいく。 海辺にバスを止め、彼らは静かに座って海を眺める。 あの時計の老人の落ちた膝かけをヘジャがなおしてあげると、ゆっくりと老人は、時計をヘジャに渡そうとする。 そしてその時計は地面に落ち、世界が急に反転していく。。。。 ジュナと出会って以降の映像と、50年程前に遡るような古い映像とが交互にフラッシュバックのように現れていく。。。
周りの老人たち、そしてジュナ、全員が消え、目の前に現れたのは、悲しみを湛え遺骨を抱える白装束の若いヘジャだった。
ここから先がこのドラマのすごいところであり、未視聴なら知るべきでないところです。
海辺にいる老ヘジャにかけよる二人。 それはヘジャの両親だった。 「オンマ! 」「オモニ! 」 しかし両親だと思っているのはヘジャだけで、実は彼らは、ヘジャの息子とその妻だった。 ヘジャは25歳などではなく、もともとがれっきとした老女で、そしてアルツハイマーという認知症を患っている人間だった。
ファンタジーのように思われたドラマは、実は、病気がみせた夢のようなせん妄世界だったのだ。
現実世界では、ジュナは友達以上恋人未満の関係などではなく、若くして亡くなったヘジャが心から愛した夫だった。
時は70年代。 ところは軍事政権下の韓国。 孤独なジュナとヘジャが出会い、二人は愛を育んでいく。 そして家族となり、貧しいながらも愛しあい、子供を産み育て、ささやかに幸せに暮らしていた。
夢をかなえ新聞記者となったジュナはある日突然、警察に拘束される。 当時韓国では民主化運動が活発になっていて、そうしてその取り締まりも厳しかった。 新聞記者のジュナは目をつけられてしまったのか、 韓国の公安警察(安全企画部)に拷問され、それがいき過ぎ、そのまま亡くなってしまう。 もちろん、警察がそれを認めることはなかった。 さらには、ヘジャがプロポーズのお返しにと贈った腕時計まで刑事に盗まれていた。 既に荼毘に付され骨となったジュナをひきとりに行った警察でそれをみてとり、必死で取り返そうとするヘジャ。 しかし手の甲に傷をつけただけで、それは叶わなかった。 寂しい人をひとりで死なせてしまってごめんなさいと、泣きながら白装束のヘジャは海辺に立つのだった。
実際に、ジュナは暗い場所に拘束されていた。 そして救い出せなかった。
実際に事故にあって足を失ったのは父親ではなく、まだ小さな息子だった。
病気のせん妄の中で、どうしても救いたくて救えなった二人を彼女は助け出したのだった。
そうしてそのせん妄の先にヘジャが見つけ出した人生の答えが、ドラマの最後の最後に視聴者へのメッセージとして流されます。
それが本当に、とても素晴らしいのです。
このために、現実ではないせん妄10話分があったといってもいいくらいです。
夢落ちなどとは一線を画す緻密な素晴らしい構成です。 そうやって見返してみると、なるほど、よくできてます(私は4周しました)
認知症の人間の主観的な世界を10話かけてそれと気づかせず描いただけでも画期的だと私は思います。 (ちなみに私は家族にアルツハイマーの患者がいますが、認知が歪む病気として、この妄想と事実と認知が混ざりあうせん妄映像は、実際の私の知識と照らし合わせても実はリアルだと思いました)
見返してみると、このドラマはとても立体的な構造だとわかります。
タイムリープ系のファンタジー恋愛ドラマのように始まり、社会派ドラマ人間ドラマだったのだと気づき、何周も再生するうちに、やはり私は、愛の物語を見ているのだと思いました。
若さと老い、恋と愛、孤独と愛、明と暗、生と死、多重構造になっているものが同時進行で流れていくようです。
記事を分けてその凄さを考察してみたいなと思います。
立体構造の中にある点在をどうつなげるかは、あなた次第だと思います。
ドラマ「まぶしくて」私的考察1
ドラマ「まぶしくて」私的考察2
ドラマ「まぶしくて」総合的感想
まだまだ「まぶしくて」感想追記