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映画「ジョーカー」と「シーシュポスの神話」

大岩を山頂まで押し運び、到着したとたんその岩は下まで転がり落ちていく。
そしてまた山の頂きへと岩を押すを永遠に繰り返す。
それはギリシャ神話に出てくるシーシュポスが神から与えられた罰である。
アーサーが階段をのぼる姿を見て頭に浮かんだのはその罰を人間の有り様になぞらえたカミュの随筆だ。
全ての人に必ず死はやってくる。
いずれ全てをなくす。
実は人生は徒労にすぎないことを見て見ぬふりをし惑わされ生きている。
誰からも見られず何ももたない人間にだけその真実が見えるのかもしれない。
岩を運ぶ重労働はそこだけをみると悲劇的だが、必ず徒労に終わることを繰り返してる姿は喜劇だ。

逆境からジョーカーになっていくというより、人間としてのペルソナを繋ぎ止めていたものがなくなるたび、不穏な音楽が聴こえ、本来のジョーカーとして発動していくように私には見えた。
どうせ喜劇なら、転がり落ちる前に、踊りながら笑いながら下りていこうではないかと。

もしも世界がただの喜劇ならば、その世界を守るバットマンとはなんぞや。
人生がただの徒労にすぎなくても、"それでも"岩を押す者。上っていく者だ。
幸福と不条理は同じ大地から生まれた子供だという。
やはりバットマンとジョーカーは対の存在なのかもしれない。

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