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外国人の顔をした日本人
旦那はドミニカ共和国生まれで、旦那のお父さんは黒人。お母さんが日本人なのでハーフになる。
でも見た目がモロに外国人なので、どこの国の人か 聞かれた時は「ドミニカ人」と答えている。
そもそも、彼は日本国籍を持ってるので、日本人なのである。そう説明しても、なかなか伝わらない。
だから私は
ドミニカ人だと言い続けている。
ちゃんと説明できる時間があれば説明するのだけど、立ち話でサクッと話すには難しい。
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【集団移民の現実】
旦那のお母さんは、いわゆる集団移民でドミニカ共和国に移住した日本人。
当時6歳だったお母さんは親戚につられて移住しました。旦那いわく、お母さんとお婆ちゃんの名字が違うということで、おそらく6人兄弟だった末っ子のお母さんは、生活難のため親戚にもらわれていったのでは?と予想できます。
口減らしというやつです。
今の日本では考えられないですよね。
日本は敗戦後、人口増加の対策するために67年前に集団移民を送り込んだ。
「カリブの楽園で広大な農地を無償譲渡」という日本政府の言葉を信じて日本人は飛び立ったのです。
ドミニカ共和国に移住したのは1319人。
6〜18ヘクタールの耕地を引き渡すことを約束されて日本人は移住したのだが、土地は与えられず、与えられてもとても使える土地ではなく、生活は苦しい状況となった。
当時のドミニカは独裁者であるトルヒーヨ大統領の政権下(とんでもない独裁者についてはまた後で)でことが進んでいたため、日本人に敵意を向けるドミニカ人も多かったそうです。
移住とほぼ同時にトルヒーヨ政権が崩壊し、日本人が略奪の対象とされてしまいます。
ほとんど土地がもらえず、その上少ない食べ物を略奪され、生活難に陥り、自殺してしまった日本人が多かったそうです。
生きている日本人も食事がとれず、餓死寸前なのです。
【2000年 訴訟を起す】
移民が様々な主張をするも取り合ってもらえず、国家賠償訴訟を決意します。すでに高齢になっていた移民の人達は「祖国を訴えるなんて」と涙を流しながら委任状に署名をしたそうです。
日本に対して移民した126人が総額約25億円の損害賠償を求める訴訟を起こしましたが、日本側は【国策】ではなく、
ただの【斡旋】だと主張。
裁判が進む中で、外務省のずさんな事実が判明してくる。 外務省は土地がもらえないことや、荒れ地しかないことを知っていたのです。
戦後移民史上最悪と言わわれる理由がよくわかります。
【2006年6月 判決】
国は責任を認めるも、
「時効」として賠償責任が棄却されました。
移民した人々は「移住者の無念に時効はない」と声をあげた。
同年7月に、小泉首相からの謝罪と【全移住者に特別一時金】の支給を行うことで控訴を取り下げ50年という戦いに決着がつくこととなりました。
金額は50万〜で、少なすぎるのでは?と私は思います。
訴訟から6年、平均年齢80歳を超え高齢者も多く、判決がくだる前に亡くなってしまった方もたくさんいたそうです。
【2021年 ドミニカ側からの謝罪】
ドミニカ側は日本人移住65周年の式典で初めて謝罪をした。
そう、初めてです。
土地をもらえなかった移民45世帯に補償を決定。
ドミニカの大統領令が発令されました。
ドミニカに在住し、ドミニカ政府から代替地の補償を受けていない45世帯が対象。
補償額はなんと一世帯あたり2000万円です。
多く感じるけど、きっと65年の苦悩を天秤にかけるのは難しい。
「あとは任せた」と死に際に言葉を残していく高齢者。自殺をする家族。それを考えると、高い金額ではないのかもしれない。
【2022年 補償支払い開始】
ドミニカ政府が、日本人移民に対する補償を開始しました。
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2023年10月現在、我が家は親戚から連絡の嵐。
手続きをお手伝いしています。
みんな高齢なので、我が家に大事な書類が届かなかったり(住所間違い)、よかれとおもってお礼にとお金を入れてくれて届かなかったり..
提出したところで通るのかも不明です。
実際日本に親戚がいないと難しいのでは?と思っている。
これが移民の過去と現状です。
【独裁のトルヒーヨ大統領】
31年間独裁政治をしていたトルヒーヨは、国家経済の大半を私物化していました。
有名なのが【パセリの虐殺】
日本では無名な事件かも
ひどい扱いを受けていたハイチ(隣の国)からの出稼ぎ労働者がストライキをおこし、それをきっかけにトルヒーヨは「そうだ!ドミニカを白人の国にしよう!ハイチ人は殺してしまおう」
と、ハイチ系住民の掃討作戦を指示しました。
ハイチ系住民を1日で20000〜35000人も虐殺したのです。
そのためドミニカとハイチの国境にある川は「皆殺し川」と呼ばれるようになりました。
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なぜ【パセリの虐殺】と呼ばれたのか
ハイチ人とドミニカ人を区別するためにパセリの発音をさせたとされています。
ドミニカはスペイン語であるため、 スペイン語らしく発音できない者をハイチ人とみなして虐殺しました。
殺害された人々の大半はドミニカ共和国で生まれ、ハイチに足を踏み入れたことすらない人々だったという説も。
これが、トルヒーヨ大統領のお話です。
ちょっと、いやかなり真面目なお話となりましたが、細かい部分は多少間違いもあるかも。
2000万がどうなったかは、また報告できればと思います。(我が家には一銭も入らんけどね)