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「マニ教」 青木健

講談社選書メチエ  講談社

マーニー教


今は、夜に家で「マーニー教」を読んでいる。マーニー教(一般的にはマニ教)は紀元後2、3世紀頃のマーニーという人物により作られた宗教。

特徴はマーニー一人で聖典作って定めたので、文字の宗教で後から弟子が発展させる余地がなかったこと、絵画もできたマーニーは絵画美術による布教も重視したことなど。前者からは、そうした人工性が世界宗教になれなかった理由だけど、仏教やキリスト教などの登場人物の名前借りてそこで自説を展開させる寄生するやり方も多く見られた。そして北アフリカ辺りと中国辺りで発見された文書に共通性が結構あるというのもその特性から。後者からは仏像などの美術と違い、絵画(羊皮紙)は持ちが短いので一旦生産されなくなると廃れるのも早かったこと。

あとはこの宗教が国教になったのは10世紀頃の天山ウイグル王国だけということ、アウグスティヌスとの関連、チベットとかネパールにあるマニ車とは関係あるの?など…
(2014 04/10)

イスラム教の先達マーニー教

一昨日読んだ分のメモ。
マーニー教というかマニ教というか…マーニーは6歳頃、家を出されキリスト教系の宗教集団に入る。20歳頃、その宗教集団からの離脱を宣言する。なんだかほんとはその集団内で割り当てられた農地を耕作しなかったという些細な?理由らしいのだが、もっともらしい理由は新たな宗教をめざすというもの。マルキオンなどの著作を読み、マニ教の特徴である二元論はここからきているらしい。一方ザラストゥラやイエスなどを先行の預言者と認め、自分自身が最終の預言者と称するのは、後のイスラムに受け継がれる…というか奪われる仕組み。

著者青木氏は確か前のゾロアスター教のメチエも同じだと思ったけど、なかなか文の運び方が上手くすらすら読める。
マニ車は…
(2014 04/12)

細部にこだわり過ぎた?マーニー教の神話


標題みたいに研究者からもいわれているみたいだが、そんなマーニー教の宇宙ー人間創造神話の核は、太陽始め宇宙は光が悪魔を封じ込める為の装置、人間は悪魔が光を封じ込める為の装置。人間に課せられたのは内部にある光(魂)を傷つけることなく解放すること。そこで農業蔑視ー商業励行、性交禁止のマーニー教の倫理が生まれる。星空を仰いで朗唱しながら諸国を商いして回り、メロン(マーニーの好物?)ばかり食べていた初期信者の姿を想像して楽しめるが、この頃の商業というものはまだまだ新しい概念でマーニーはそれに賭けたのかも、とかも思ったりする。
ただ、現存する教典がかなり限定されたものなので、そこら辺は考慮しておかないと…とのこと。
とりあえず、今朝読んだところのまとめ。
(2014 04/16)

ゾロアスター教とマニ教


ちょっとだけ「マニ教」。マーニー教(この本では書名だけマニ教になっている)とゾロアスター教との関連の話題から。ゾロアスター教では4・5世紀くらいに大変革があったみたいで、どうやら二元論はこの時代にマーニー教からなどの影響で取り入れたものらしい。
それ以前のゾロアスター教は闇との闘いに心中するというもっと暗い世界観だったらしいのだが、何せ以前のゾロアスター教の史料が残っていない。それをできる限り復活させようとの研究を著者青木氏が行っている…そこで「青木とかいう研究者」って書いてあるのが楽しい。
(2014 04/17)

踏み蟻


ベーマ大祭というマーニー教最大の(マーニー殉教を偲ぶ、ベーマとは椅子のことで、椅子にマーニーの肖像を置くことから)祭りがなんか今も行われているかのように描かれる。26日の断食とその後の祭り…という形式は後のイスラームのラマダーンに受け継がれている、という。

羊皮紙絵画に特質を持つマーニー芸術。発祥の地メソポタミア等ではイスラームの偶像禁止の影響で途切れたが、天山ウイグルで花開いた絵画がモンゴルの進出とウイグル人重用によりインドやイランの細密画に影響したことはあり得る、という。

ペルシャでは、ササン朝ペルシャ国教のゾロアスター教が勢力を増すにつれ圧迫される。そのやり方の一つが標題に挙げたもの。ゾロアスター教では蟻は悪魔らしいけど、マーニー教は殺生を禁止しているから。

西側地中海世界では、エジプトを中心にかなり広がり、ミラノの勅令からキリスト教国教化までの期間は、キリスト教と張り合っていたらしい。一つ間違え?ば、今のローマにはマーニー教法王が座っていたのかも?
(2014 04/18)

イスラームと中国のマーニー教


というわけで、青木氏の「マニ教」読み終えた。前読んだ「ゾロアスター教」も面白かったので、この著者についてもちょっと調べてみたいところ。

で、まずはイスラームから。ササン朝ペルシャでかなり迫害されていたマーニー教教会は、イスラーム勢力によるササン朝滅亡、それからウマイヤ朝成立により少し安定の時期になる。が、次のアッバース朝期になると、またマーニー教教会に対しての迫害が始まる。
で、10世紀頃にはこの地域での教会はなくなってしまうのだけど、逆にこの時期はマーニー教側でもイスラーム側でも思想的議論が高まり、著名な思想家も出てくる時期にあたる。

中国では、マーニー教は唐初期に伝来。安史の乱の後やウイグル人には広がる。その後、今度は江南の漢民族の間で明教としてマーニー教の末裔みたいなのが出てきて、乱などを起こす。元の次の明がそれに由来する、という主張も前にはあったけど、今は否定されているみたい。この明教がマーニーの最後のエポックみたい。
現代アメリカ辺りで新興宗教としてマーニー教を名乗ってるのもあるらしいけど…
(2014 04/19)

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