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「欲望の現象学 ロマンティークの虚偽とロマネスクの真実」 ルネ・ジラール

古田幸男 訳  叢書・ウニベルシタス  法政大学出版局

読みかけの棚から
読みかけポイント:最初の10ページくらいだけ…

 ドン・キホーテもサンチョ・パンサも、自分たちの欲望を他者から借用しているのだ。それも、自己自身であろうとする意志と完全に混同してしまうほど根本的で自発的な心理運動によっているのだ。
(p3)


ジラールが示す欲望の三角形、主体と対象に更に手本となる媒体がある。ドン・キホーテにとってはアマディース・デ・ガウラ(騎士道物語の主人公)、サンチョ・パンサにとってはドン・キホーテ。理想主義者と現実主義者の対比と語られやすいこの二人、実は同じ類型ではないか、というのがジラールの洞察。
この欲望の三角形から文学作品をみようというのが、この本。副題にある「ロマンティークの虚偽とロマネスクの真実」というのが元々の原題。
「ドン・キホーテ」、「ボヴァリー夫人」、「赤と黒」となるにつれて、欲望の三角形の主体と媒体の距離が短くなり、フロベールではまだ媒体には到達できないが、スタンダールのジュリヤン・ソレルでは媒体に取って代わることができ、その場合、この欲望は競合関係となる。
他者からの借用の欲望だから、それは止まらず暴力となり連鎖する、だよね。
この本、そしてジラールの中心は、スタンダールからドストエフスキー、そしてプルースト。この三人の作品が中心になっていくが、その前に?こんなのもある。

 カフカの物語の、情け容赦のない見張り番はそうしたものであって、手本となるものは、それを見習うものにたいして天国にいたる門を指し示しながら、その同じ身振りそのもので、その門に入ることを禁じるのである。
(p8)


今のところ、この三角形が一番の謎。
(2022 08/14)

昨日ちらりと読んだところ。
上の、セルバンテス、フロベールのような、自己と媒体の距離が遠く交替不可能な場合を外的媒介、スタンダールのような自己と媒体の距離が短く交替可能な場合を内的媒介とする。以下の文章は後者、内的媒介の説明。

 こうして欲望する主体は手本にたいして、最も従順な敬意と最も強烈な恨みという二つの相反するものの結合によって作りだされた胸をひきさくばかりの悲痛な感情を抱くのである。われわれが憎悪と呼ぶのはまさにこの感情である。
(p11)


そして、外的媒介よりも内的媒介の方が「現代的」だとジラールは指摘する。
(2022 08/17)

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