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「中世の知識と権力 知は力となる」 マルティン・キンツィンガー

井本晌二・鈴木麻衣子 訳  叢書・ウニベルシタス  法政大学出版局

図面にない施設と生徒の日


「中世の知識と権力」から2つ。ザンクトガレン修道院の理想とした設計図が残っているのだが、そこには(ここからテーマとなる)修道院学校と書斎(図書館)が存在しない。
本に関しては内容に異議を立てることはできず、一字一句暗記朗唱すること、その対象も厳格に管理されていた、ということ。そこで「薔薇の名前」みたいな話が出てくるのだろうけど。まあ、中世においては世俗的コミュニティでも昔からの出来事の記憶形成が主だったらしいが。
学校の方では、厳しい毎日の中に「生徒の日」というのがあって、息抜きとこういうのにはつきものの役割交換(奪冠)もあったというが…ただそれだけではなく、王などの訪問も結構あったらしく、そういった世俗権力側では将来の行政官や司教に目配せをしておく、という狙いがあったようだ。
(2013 11/20)

中世後期の知と読みの諸相


「中世の知識と権力」修道院から学校へ。瞑想から批判へ。

 人々はもはや修道院文化がしたようには、伝承されたテキストをただなぞったり記憶したりするだけで保存しようとは思わなかったのだ。むしろ今や伝統は自分の批判的な考えで補完され、注釈されるべきものとされた。
(p124)


知の新しいあり方。この延長上に自然に神のあり方を見ようとした自然科学(科学(サイエンス)という言葉は近代初期にはまだなかった)もある。
ただ、瞑想という余裕がなくなって見失われたものも多いのでは、とも思われるが、この本は知の変容に対して肯定的に見ているし…
加速する社会の、し始めの感覚が伝わってくる…
(2013 11/23)

大学の原型と伝統


昨晩「中世の知識と権力」を読み終えた。ヨーロッパの大学の原型がこの頃見えてくる。カレッジ(元々は大学寮の意)は大学自体ではなく寮で授業する教師や学生(そういう場合も多かった)がいたからとか、貴族の一部には遊びかなんかで(下手に学位取ると地位下がる)大学にいたり(こういう伝統は18か19世紀くらいまではイギリスにはあったと前聞いた)、など。この頃の貴族は、家庭教師からの身振りとか紋章学などもふくんだ教育を受けていたらしい。
(2013 11/25)

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