「ジャンケレヴィッチ 境界のラプソディー」 合田正人
みすず書房
読みかけの棚から
読みかけポイント:p112?まで
ジャンケレヴィッチの言葉より
みすず書房の合田正人「ジャンケレヴィッチ 境界のラプソディー」の紹介HPの巻頭から。本のどこかに書いてあるものだとは思うけれど。
(実際はp18)
(2017 07/08)
ラプソディーと星座
ラプソディーという言葉の語源は縫い合わせるということで、縫い合わせ=境界線、区別と普遍(最終章)というつながりの様子。
「星座」の言葉で、多くの点(事象)から線で何かを種々選択して引き、星座を作る、そのやり方をベルクソン研究の折り、ジンメルとベンヤミンから学んだ…という辺り面白そう。
(2020 01/14)
ジャンケレヴィッチとその家族
書き出し(序章以外)はジャンケレヴィッチがイスラエルの海岸線で過去を回想するというシーンから、彼の生い立ち。
両親は両方ともロシア系ユダヤ人。両者ともフランスに渡り結婚する。姉?はピアニスト。姉の夫がスペイン系で、ジャンケレヴィッチの眼をロシア等東方から、スペインの西方へと変えていくきっかけとなったとある。父親は医者?かついろんな本の翻訳もしている。確かフロイト理論の紹介も。でもかなり翻訳には問題があるらしい。
ジャンケレヴィッチはロシアからの亡命哲学者の会にも、フランスパリの南西の十日会という会にも参加してた。そこから始まり、後のラジオ講演などでも、彼の講義の音楽的口調とそれに流されてしまいがちなのをいろんな人が証言してる。サイードなんかもそう。
(2020 01/17)
ブランシュヴィックの危惧
ジャンケレヴィッチの師であるブランシュヴィックは、弟子の「夜想曲」を読んだ感想(危惧?)を弟子に伝える。ジャンケレヴィッチは生涯この言葉を忘れなかった、という。
何だか分からないもの
「フランス・バロック期の文学」ジャン・ルーセ
「何だか分からないもの」というジャンケレヴィッチのキーワードの一つが、バロック期の文学に現れ、それを彼が紹介したという指摘。上のp67の文の変奏。
グラシアンからパスカル、コルネイユ、ラ・ロシュフーコーへ、ショーペンハウアーからニーチェへ。ここに挙げられている人々(主に前半の)がこの考えに共通していたとルーセは言及している。そしてこれらの人々の多くは断章的な文学の作り手でもある(コルネイユは違うか)
(2020 01/30)
連続性と不連続性のあいだ
ジャンケレヴィッチ…無限性と有限性、連続性と不連続性のあいだ
ここで、前にも挙げたp90の命題が(後に)出てくる。再掲しよう…
「飛躍の逆説」
ここ、なんかわかりにくいけど、この本(中古で買った本)に先の持ち主が書き込んだ図がある。それによるとそれは、(集合のベン図)のように現在の一部分が過去なのが瞬時逆転し、過去の一部分が現在になる、ようなそういうものだという。
(2020 02/09)
ライプニッツ、ベルクソン、そしてジャンケレヴィッチ…
空間と時間について
ジャンケレヴィッチはこのライプニッツ定義の前半部分は取り入れるが、後半の空間に関しては修正して言い直している。
空間や時間というものの定義が重要なのではなく、そういう「仮」のものを必要としてしまう、人間活動の特徴を捉えることこそ必要だということだろう。それはたぶんベルクソンを経由したからこそ。
秩序と無秩序について
上から、ライプニッツ、ベルクソン、ジャンケレヴィッチの文章。
一番上のライプニッツについては、「神が仮構することすら出来ない」というのが自分的に興味あるところ。神にもできないことはあるのか。想定外ということがあるのか。一見完全秩序の決定論で不自由なような気もするのだけれど、そうではないことは、次のベルクソンやジャンケレヴィッチを見れば変容しながら定義し直しているのが見えてくる。
(ほんとかな)
再掲
(2020 02/14)
持続と飛躍
昨日、前に読んだ「ジャンケレヴィッチ」のまとめの後、10ページほど読み進めた。持続のベルクソンと飛躍のキルケゴール、連続性と不連続性をどう接続するか、自由の問題にせよ、時間の問題にせよ、そこが一番の難問(アポリア)で、現代の哲学者はそこをどう取りまとめ、どう表現するか、のヴァリエーションではないか、とこの本見ると思えてくる。
(2020 02/15)
(2020 02/19)
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