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「枯葉の中の青い炎」 辻原登

新潮文庫  新潮社


「枯葉の中の青い炎」

表題作「枯葉の中の青い炎」を読んだ。「熊野でプルーストを読む」に出ていたアイザワ・ススム、亡命ロシア人で投手のスタルヒン、それから中島敦、さらにはスティーヴンソンという、4人の実在の人物取り上げながら、織り込んでいく作品。中島敦作品は「光と風と夢」、壜の話はスティーヴンソンの短編集であったような…
(2023 10/01)

「ザーサイの甕」

昨夜、「ザーサイの甕」読む。たぶん?この短編集の中で一番お気に入りになりそう…

 この池にすごい金魚がいる。魚には尾ひれがあり、話にもつきものだ。この話はその尾ひれの部分に当る。
(p131)


上の「枯葉の中の青い炎」でもそうだったけど、この作家、話を盛り込み過ぎ(笑)、もはや、どれくらい異質な話題を短編に盛り込めるのかの技芸になっている気も。
そして、このp131の文章は、同じ精神が一つの段落内で展開している例。4つの要素(すごい金魚、魚の尾ひれ、話の尾ひれ、この話で語られていることと想定されている全体との位置関係)が、直接につながっている。なんだか、90度ずつ顔の向きを回されて、4つの要素終わったら360度で元戻り…という感じ。
そして最後は、江戸川区の金魚(和金)たくさんと、木更津小櫃川河口に捨てられたザーサイたくさんが、泳いで東京湾での出会いに向かう、という突拍子もない光景。ザーサイが泳ぐのもびっくりだが、江戸川区の和金たちは、先頭に中国四川省で掛け合わせの果てに生まれたヒキガエルみたいな金魚がいて先導している、という。楽しい短編だが、一箇所、噺家が池に落ちて…というのが伏線回収されないまま…というか、ひょっとしてこの話はこの噺家が作った創作落語なのか(笑)…
(2023 10/03)

「ちょっと歪んだわたしのブローチ」

昨夜から今日、冒頭の「ちょっと歪んだわたしのブローチ」を読んだ。パラレルワールドとその歪みというSFチックな構図を、普段の生活状況に落とし込んだ作品。

 本書の各編には、おとぎ話や伝説、現実にあった事件、あるいは実在の作家たちが書いた小説や手記などが、内側にうめこまれ、妖しい耀きをはなっている。物語中の物語が、作中でいわば「火種」の役割をはたすことになるのだ。複雑でゆたかに色づいた物語の葉脈のなかに、熱い焔を擁する小説たち
(p234-235)


という解説の鴻巣友季子氏の評が、一番端的に示されている作品なのではあるまいか…
この作品の「火種」はp24-28で展開しているルドルフ?の物語。これの典拠はブロッホ(といっても「夢遊の人びと」のブロッホではない(よね))の「未知への痕跡」という作品。あと、「ザーサイの甕」に噺家出てきたこともあって、なんかこの短編集にある作品が全部「三題噺」で作ったような気もしてきた。辻原登は現代の三遊亭円朝か?

作中の細かい点も。小道具の一つが「ケータイ」。作中人物たちはだいたいが「ケータイ」に違和感感じて持っていないが、物語が進んでいくに従って仕方なく持ち始める。しかし、スマホではなくケータイ…単行本で出たのが「平成十七年」…
この小説の核となる、夫(亮)と愛人(麻衣子)の向かいに妻(みずゑ)が住む件。これはひょっとしてホーソーン「ウェイクフィールド」?それよりは関連薄くなるけれど、構図と情念的にはルコントの映画「髪結の亭主」も思い出す。
あとは、結末のブローチの野暮な詮索。「火種」話と同じく時空が歪んだね、ちゃんちゃん…でもいいのだけれど…みずゑが麻衣子を殺害してブローチを取った…というのが一番ノワールな?流れ、それよりは薄れるが麻衣子が自殺してそこから取ったとか拾ったとか。これらの説は鉄道の人身事故にも絡められる。あるいは、麻衣子を監視していたみずゑが全く同じものを買ったとか。だと麻衣子が姿を消したこととはつながらない…こういうの考えるの大好きなんだけど、ここは虹に免じてやめといた方が…
でも、なんで「みず「ゑ」」なのだろう。

えっと、おまけでややこしい?ブロッホ問題…
ヘルマン・ブロッホ(「夢遊の人びと」「ウェルギリウスの死」「群衆の心理」などのブロッホ)
エルンスト・ブロッホ(ルカーチ始めベンヤミンやブレヒトなどとも近いマルクス哲学者ブロッホ←今回の「未知への痕跡」はこの人、翻訳も結構ある)
エルネスト・ブロッホ(「ヘブライ狂詩曲「シェロモ」」「イスラエル交響曲」などの作曲家のブロッホ)
これら全部別人(笑)
(2023 10/05)

「水いらず」

今朝「水いらず」と「日付のある物語」、昼に「野球王」読んで、こちらも6編読み終わり。
短編集の表題「枯葉の中の青い炎」という言葉。これは表題作だけでなく、全ての短編に共通すると思う。特に今朝読んだ2編はそれが表に現れた作品。「水いらず」では山荘の建物内に煙が充満するに留まったが、「日付のある物語」では最終的にたどり着くのは阪神淡路大震災の炎。

「水いらず」では、最初に視点人物である秋山が嗅覚を失ったことが知らされるが、彼は記憶の中の嗅覚を取り出すことができるという。嗅覚という感覚を失うことと記憶の中の嗅覚は連動しているように思えたのだが、とりあえず先に進む。この秋山の別れた妻が亡くなり、妻の妹夫妻がこの初雪の夜訪ねてくるが、どうやらこの妹に秋山は関係をもったらしい。最初は、この話は夢かそれに類する何かで落ちるのかと思ったら、そのまま話は拡大を続け炎も広がり続ける。

「日付のある物語」


「日付のある物語」では、銀行強盗事件と連合赤軍事件と大震災が結びつく。その結び目が「熊野でプルーストを読む」でも出てきた「マルテの手記」にあるロシアの偽王の話。でもどうだろう。自分的には物語の表筋になっている銀行強盗事件の裏の世界をもう少し厚くした方がいいような気もしているのだが…解説の鴻巣氏のいう「日付がない」部分の。

「野球王」

「野球王」も、前段で引っ張って、後半の「野球王」の話に繋がりが自分にはなかなか見えてこない。「野球王」と呼ばれる人が後にエレベーターの会社に入ったことくらいか。辻原登という作家は短めの短編より、中編くらいの方が話回収できていいのかも(「ちょっと歪んだわたしのブローチ」とか「水いらず」くらいの長さの)。で、エレベーター。冒頭がナボコフの「マドモワゼルO」のエレベーターの話…これは「ディフェンス」でも出てきたあの家庭教師とエレベーター…やはりナボコフはエレベーター作家。「ナボコフの一ダース」にもこの話出てくるらしい。
(2023 10/08)

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