「街道手帖」 ジュリアン・グラック
永井敦子 訳 シュルレアリスムの本棚 風濤社
京都恵文社で購入。
(2022 12/11)
読みかけの棚から
読みかけポイント:これもまさに読みかけ…
糸杉とガラス窓
特に中間の文章。糸杉が風に揺れるだけでたわみとそれへの反抗というものを捉える目が、シュルレアリストとして詩人としてのグラックを支えている。
あと、前に読んでいた河島英昭「イタリアをめぐる旅想」から引き続く、アスタリスク感…
(読んだのは06/30夜。p10まで)
(2023 07/02)
オルナン(画家クールベの故郷の街)とか、雪に閉ざされ記憶的にも他と繋がらない穴のようなドイツの旅とかいろいろ。ヌーシャテル郊外の旅では時期的にアゴタ・クリストフと(知らずに)出会っていた可能性も…
これはノルマンディーのコタンタン半島先端アーグ岬での体験。「日なたの昼食」は長続きしないものの比喩として使われていると注にあり。
おまけ? このアーグ岬にあるのが核燃料再処理場。グラックが訪れたより後に完成し、最初の国外からの核燃料は日本からのもの、だという。
(2023 07/29)
結合組織と硬化症
ピカルディー地方、ソーム川の河口の景色から。
「シルトの岸辺」の原風景か…それはともかく、重ねられる言葉の微妙な違和感の連なりが印象深い。
(読んだのは昨夜)
(2023 10/13)
結合組織の比喩にやられたが…日本の場合、このような地域はあるのかな。
(読んだのは金曜日夜)
(2023 10/15)
ブルトンとかユンガー(この人もシュルレアリスト?)などのミニチュア好きを、それよりもグラックは「とてつもなく大きなものに惹かれる」(p52)と、ピラミッドやロードス島の巨像、空中庭園などに惹かれるという。結構意外な箇所だが。
変わってこちらは中央山地アリエ県トロンセの夜の森。ここ読んで自分は、川村記念美術館の常設展にある(たぶんエルンスト)一面暗い灰色(茶色)で塗られた木々の絵を思い浮かべた。
(2023 10/20)
あれらの空き部屋
昨夜読んだところは、珍しく(なのか?)グラックが自作との関連を示唆している2箇所。
(2023 12/19)
この本は少しずつ少しずつ進行する。
日本だとよくわからないけれど、西欧の日曜の午前ってこんな感じなのか…昼食まではできるだけ、精神的にも騒がない、といったような。
(2024 01/04)
ロンドンの無頓着な街路
これはパリ・フォンテヌブローの森の章。そこまで大きな森なのか…
(2024 02/22)
(以下は昨夜分)
フランス中央高地の記述。ボカージュとは畑を森が囲んだり混在しているような景観で、フランスだけでなくイギリスからオランダ辺りまでの西北ヨーロッパの代表景観。現地に行ったとしたら、果たしてその異国的なものを読み取れるだろうか。外から来た者の方が、当たり前の景観としないせいで分かるかもという気もするが。
次はグラックのロンドン滞在(1929年の夏季休暇にロンドンで英語の研修を受けた)。クリケットには、アメリカでの野球同様、「ウィルスに感染」してしまったらしいが、パブには一度も行けなかったという。どちらも意外。
グラックだなあ…「シルトの岸辺」にもこんな感覚あったような…
最後はオランダ、アムステルダム。
…これは、感じた。オランダの家にはカーテンないとこ多い。何か自らにやましいところはありません、と周りに示さなければならないような、そしてそれが最早苦痛ではなく習慣化しているような、そんな感じ。北欧とかドイツとかはたまたベルギーともまた違うような…20年以上前なのであまり確かではないが。
あとは、アポリネール。この言葉は詩集「アルコール」の「地帯」にあるらしい。この人自体をもう少し深掘りしたい。
(2024 02/23)
動詞のいまだ存在しない時制
これは松林を下から見るのとはまるで違うという上から望んだ風景。砂丘の上に登って松林を見る。作家の視線という奇跡を感じる。
(2024 03/03)
まず昨夜分。
グラックは第二次世界大戦ではフランス軍としてフランドルへ派遣されるが、そこでドイツ軍の捕虜となってしまう。この文はその前のとある情景。「点滅する暗闇」は実は重砲射撃。
そして今日読んだところから。
こちらは戦後の再訪問時。そう考えると、普段は複雑と考えている時制も、実はもっと細かく豊かにできる余地はある。
この他、戦時中、アメリカへ渡ろうとしていたユルスナールにパリで会っていたエピソードも有り。
(2024 05/07)
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