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「中世ヨーロッパの都市の生活」 ジョゼフ・ギース、フランシス・ギース

青島淑子 訳  講談社学術文庫  講談社

トロワ、1250年

今日はプロローグと第一章。

1250年のフランス、トロワが舞台。ここはシャンパーニュの大市で有名な場所。盛期中世、東欧にはモンゴル軍来てたけど、この辺はまだ平穏。この時期の人口はもちろん推定で約1万人。トロワを含むシャンパーニュ伯領当主はティボー4世。フランス国王はルイ9世。イタリアから始まるコミューン(コムーネ)運動は市民自治運動で、君主によってはコミューンを育てていこうとする人もいた。一方、このトロワでは特許状が比較的遅れた。これは自治自体が遅れていたわけではなく、逆にコミューン的自治がその前から行われていたからなのだそう。
1180年代には大火、1280年代?にはユダヤ人迫害と、そういう事件に挟まれた平穏期。p46-47のトロワ地図を随時引きながら読み進める。
だいたい左側(西側、p47)がシャンパーニュの大市会場、右側(p46)が古代ローマ時期から続く古い中心部。

第二章

 一二世期には、物乞いは金持ちの家のなかに入って食卓までおもむき、直接食べ物を求めることが許されていた。しかし一三世期半ばには、物乞いが入っていいのは、玄関口までと定められていた。
(p65)


そこから先になると、身体が問題ないのに関わらず物乞いするのは、処罰されるという世の中になる。
この本、中世都市の生活というまだまだ明らかになっていないところも多い分野にも関わらず、断定していてそれは読み物としては楽しい(学術的にはどうかとも思うが、そこは次のステップで、ということらしい)。
(2021 12/09)

第三章「主婦の生活」、第四章「出産そして子供」


なんというか、ほんとに中世トロワに住んでいるかのような詳細かつ躍動感ある文章でページが進む。買い物をしに町を歩く、歩いていると肉屋の近くには血や蝿のたかった臓物などで汚いから気をつける(何か自分の直前に既視感あるなと思ったら、サラマーゴ「白の闇」の街に近くない?)、ベッドメイキングなどには部屋に藁を敷く(この時代藁を敷くのはいろいろなところで出てくる)、子供が産まれた時、男の子だったら代父二人と代母一人、女の子だったら代母二人に代父一人(代父・代母をたくさん作って、多くの有力者と関係つけたいという風習を防ぐため、教会がこの人数を定めた)。

第四章に、ジョワンヴィル(ジョアンヴィル)のルイ王年代記(「聖王ルイ」)での、サイコロ遊びの話が出てくる(p98)。おまけがあって、賭け金を王の弟アンジュー伯と対戦してたゴーティエが懐に入れたと書いている…というジョワンヴィル(ジョアンヴィル)は、この本の舞台となっているトロワの騎士。
(2021 12/10)

第五章「結婚そして葬儀」、第六章「職人たち」


1215年の第四回ラテラノ公会議は、結婚に関する様々な新しい取り決めが成された時。七親等以内の結婚禁止から四親等内へ、姦通相手との結婚、誘拐した人とされた人との結婚…?印も付く、世俗領主の力の反映だろうか。p106には結婚式ができない時期が書いてあるけど、半分くらいはできない? いわゆるジューンブライドというのは、この時期から外れた気候の良い時期という意味もあるのかな。

この本のカバー(確か)になっているp123ほか、シャルトル大聖堂ステンドグラスにも職人たちが描かれている。p124-125に書いてあるブドウ酒の呼び売り屋というのが、検査官を兼ねているともあるが、ちと理解不能なもの。居酒屋に入って(居酒屋は断ることはできない)、監督したり味見したり、コップと大型瓶を持ち出して通りで呼び売りしたという…後にあるギルドの同業内の規則取り締まり機能も兼ねてたのか。

最後はユダヤ人住民。民衆からというより、領主の財政状態と気まぐれにより、時によって罰金とか追放とかされたりする。フリードリヒ2世やルイ9世などはユダヤ人についての迷信を疑う姿勢を持っていた、という。
(2021 12/11)

第七章「豪商たち」、第八章「医者たち」、第九章「教会」、第十章「大聖堂」


毛織物製作の手順、遍歴職人(徒弟以上親方未満)の週雇制、豪商は貴族になるより「シル」という独自の称号を持つことを求めた(なんか今日見た放送大学講義と違う?)、ハンセン病患者への患者村への移送(隔離という概念が出てきたところは医学が進歩している)医者の「言い訳」格言?、教会でのミサ、シナゴーク(意外とこっちの方が雰囲気ゆるい)、聖遺物の増加とそれに批判的な人々(この時期が一番のピーク)。石工や鐘職人、ガラス職人は複数の現場を「渡り」で働く。ステンドグラスはこの時期ではガラスの厚さを均等にできない技術であったため、それを隠すこともあって色付きガラスを用いた面もある。
(2021 12/12)

第十一章「学校そして生徒たち」、第十二章「本そして作家たち」

 実際、一三世期の科学は学校の外に多く花開いていた。
(p227)


例えば、地図はこの時代の展開的なものとしてよく出てくる「T」の形の三大陸の中心にエルサレム、というものの他に、航海の実用品として実際的な地図も作られていたという。学校は多くの場合、古代からの古典文学の暗唱だったのだけれど、古代ローマなど「異教徒」の作品を読んで動揺してしまう人が多かったという。

原注によると、この時代は本屋はだいたいにおいて居酒屋とセットになっていた…というけど、ちょっとどういう感じか想像しにくい。近代のコーヒーハウスみたいな文化なのか、それとももっと民衆よりの豆本的な品揃えのキオスクっぽいもの想像すればいいのか。写本作業で書き落とした文章を、気の利いた絵とともに入れこもうとするp245のような例もある。作品例としては、「薔薇物語」、「狐物語」、領主ティボー4世やリュトブフ(粗野な雄牛という意味のペンネーム…現実生活を奔放に歌う)、宮廷風騎士道物語「フラメンカ」など。
(2021 12/13)

第十三章「中世演劇の誕生」、第十四章「災厄」、第十五章「市政」


中世演劇は教会から生まれた。聖書の様々な場面を、最初はコーラスの掛け合いで、そのうち役を持つものが演じ始め、やがて教会前の広場で演じられる。
大火、疫病、そして戦争。トロワのような大きな城壁を持つ都市になると、ほぼ都市守勢側が有利になる。攻城側の戦法としては、投石器などのほか、坑道を掘るというのもある。これに対して、守勢側も対抗坑道を掘っていき…という戦いがアルビジョア十字軍のカルカソンヌの戦い(アルビジョア派が攻城側)。また中東の十字軍で、攻城側のサラセン人(表記ママ)が最後に相手のフランク人技師を坑道に招き入れ、降伏を進めさせた、という逸話もある。

 特許状には「個人に自由を与える」面と「自治を許す」面という二つの側面があったが、はるかに重きがおかれたのは個人の自由のほうだった。
(p283)


時代が進むにつれ、市政の寡頭制が際立ってくる。裁判権は領主、都市、教会と3箇所にあり、どこの裁判所で行うかの争いも多かった。トロワは、シャンパーニュ大市の利益があるため、他の都市に比べ特許状、自治への熱意が低かった。その大市など、商業の法制化が進むと、それが引っ張るように他の分野の法整備も進んでいく。代わりに、決闘や神明裁判(「トリスタンとイズー」で出てきた身の潔白を示すために焼きごて当てられたり、水の上歩かされたり、とか)は徐々に減っていく。

続いて第十六章「シャンパーニュ大市」とエピローグ「一二五〇年以降」


シャンパーニュ大市は年によって差はあるが、この地方の数都市を回って開催される。トロワの場合は夏と冬。まず準備期間、続いて「毛織物販売期間」、続いて「目方売商品販売期間」(香辛料、染料、貴金属その他)。商慣行や決済の仕方など次々と新しい手法がとられる。シャンパーニュ伯など領主は税収入を得た…と賑わう大市が描かれるこの章の一番最後はやや思わせぶりな文章になっている。

 人々が忙しく行き交い、情報が飛び交い、通貨が中心となってまわっていた商人の町トロワ-ほかでもないまさにこの場所の、この光景のなかに、実はトロワ衰退の予兆が見えていたのである。
(p312)


という、内容はエピローグへ。
ここでは2箇所。

 金融業務、簿記、商品の販売戦略を学ぶ比類なき「学校」のような存在だったシャンパーニュ大市は、より効率的な営業方法をどんどん生み出していったがゆえに、みずからの首を絞めてしまった。
(p316)


こうした変化の一例として、各地の商人が商品を持って市に出向くのではなく、代理店を設立するというのがある。そういうフィレンツェの商人のパリ代理人の息子がボッカッチョ。

 彼ら(一〇世期アメリカに渡ったヴァイキング)とコロンブスの違いは、中世初期と末期の違いである。ヴァイキングは重量有輪棃も、伐採用斧も、鉄製の砕土機も、馬の首輪も蹄鉄も、上射式水車も、原住民を懐柔するための豊かな手芸品も、弾圧するための小火器も持っていなかった。
(p320)


この二つの時点のちょうど中間に、この本に描かれた一二五〇年のトロワが位置する。
(2021 12/14)

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