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「アジアの岸辺」 トマス・M・ディッシュ

若島正、浅倉久志、伊藤典夫、大久保寬、林雅代、渡辺佐智江 訳  未来の文学  国書刊行会


古書ビビビで購入。
この本は日本独自の中短編集。

「降りる」

デパートの下向きエスカレーターが無限展開する話。サッカレー「虚栄の市」や食料品入れた袋とか。夢落ちとか、上向きエスカレーターを見つけるとかの「救い」がなく、ひたすら「降りる」だけ、なのがディッシュ…

 答えをもたない謎、それ自身がその理由だ。自己充足した完全な謎を解くのに、知恵は無力だった。答えが必要なのは-エスカレーターではなく-彼なのだ。
(p22)


この短編のほんとの「主人公」は読者自身なのかもしれない。これ読んで、リスのぐるぐる回る檻見ているようなマゾヒズムとサディズムが入れ混ぜになった欲求を満たし…というのを作者が見て喜ぶ…
「リスの檻」という作品も収録されてるし…
(2021 05/08)

「争いのホネ」

この本、今まで何かの雑誌で邦訳されていたのと、初訳のものがあって、前の「降りる」は再録、「争いのホネ」は初訳。
この作品は、死んだ人が蝋人形みたいに家にいて保存されている世界の話。またまた回る檻(ここではネズミ)とか、「アンティゴネ」とか。作者ディッシュの共感がどっち側にあるのかは意外とわかるけど、あからさまにはしない。
この作品、長編のプロトタイプ的な作品に思える。そういう長編が実在するかは別として…
(2021 05/14)

「リスの檻」

 とにかく“おそろしい”のは-好きなことを好きなだけ書く自由を持ちながら、ぼくが何を書こうが、どこにも違いは生じないということだ-ぼくにとっても、あなたにとっても、違いが生じていいはずの誰かにとっても。
(p43)

 こうなる以前の生活を覚えていないので、告白しようにも、話すことが何もないのだ。
(p51)


今までも出てきたディッシュの「檻」テーマ全面展開の代表作…この人、ほんとにこんなんばかりなのだろうか(笑)…カフカの不条理とか、異星人侵略ものSFや人格変えるような心理実験への批判的目配せとか、神学的テーマだとか(p51の文とか)いろいろあるけど、単に作家ディッシュの日常を自嘲的エンターテイメントに仕立て上げたという説に、自分は一票。

 異星人による侵略というSFの常套テーマを軽く横目に見ながら、一日中小説を書き続ける作家の単調な生活をエンターテイメントに仕立てあげたところに、ディッシュの並々ならぬ技巧がうかがえる。
(p352-353 編者(若島正)あとがきより)


(2021 05/16)

「リンダとダニエルとスパイク」


リンダが「空想」でダニエルという恋人を創作して、スパイクという子供をもうけたが、最終的には彼女自身の約半分の腫瘍で亡くなる…という話。空想で子供まで作ってしまうわけだが、その葬儀を遺児が指示しているというひとひねり。でもでも、今気づいて冒頭チェックしたら、どこにも未婚とは書いてないんだよね。遺児という書き方はもしかしたらスパイクではないのかも。また、もちろん身体の半分の腫瘍なんてあり得ないのだし…ま、全部ディッシュの創作なんだからいいか…
…と、ディッシュ作品読んできて、味わいとしてはカレル・チャペックに似てないかい? あとは、全く(とは言い過ぎだが)SFではないのではないか疑惑が…
(2021 05/18)

「カサブランカ」

なんだか知らないが、アメリカが爆撃にあった時にカサブランカにいた夫妻の物語、アメリカドルは受け取らないし、船は欠航、高いお金出して買った航空券は盗まれ、投獄されたり、殴られたり…解説で若島氏は「降りる」とともに、エスカレートしていく最悪の状況というのを読者にマゾヒスティックに提供している、と述べている。
核戦争?という背景はSFかもしれないけど、別にその設定抜きでも状況は作れると思うし…実際に1966年にディッシュと盟友スラデックとカサブランカに滞在している、このあとロンドンに向かい、そこでニュー・ウェーブSFに出会う。
(2021 05/19)

「アジアの岸辺」(表題作)


1967年、ディッシュのイスタンブール滞在の所産。

 女がノックして、彼がその架空のヤウズに呼びかけるのは、一晩に三十分以上も続きはしないが、そのあいだずっと、彼は家具のない部屋で椅子に腰掛け、カワックを飲みながら、カバタスとウスキュダルのあいだ、ヨーロッパとアジアの岸辺のはざまの、黒い水面を行き来する連絡船を見つめていた。
(p115)


「家具のない部屋」というのが、何か具体的なうらびれた印象を呼び起こすとともに、連絡船と一緒にハリスの脳内の反映ではないかと予測させる。もう、後からたくさん出てくるけど、表現や比喩の格好良さが半端ない…
イスタンブールで(別々に)出会った女と子供に何故か付き纏われるアメリカ人ハリス。段階を経て、アメリカ人ハリスは、女の夫、トルコ人ヤウズになっていく。トルコのB級映画、スレイマン大帝時代のオスマン帝国についての歴史書(今、法政大学出版局で出ている本とは別物らしい)、ハリスが撮影した墓地の写真が、女と子供一家の写真になっていた、などの段階を経て。

 砦の外側をまわって、崩れた石のある急な斜面を下り、海岸の道に出ても、入口は見つからなかった。もしかしたら入口なんてないのかもしれない、そう思うと愉快だった。海と外塁のあいだには、細い道があるだけだ。
(p117)


作者ディッシュは建築家を志していたとか。入口のない建築物なんて全くの無用物でしかないのだが、建築を極めていくとこういうのが「愉快」になるのだろう…実際には入口はあったのだが…
この建物ルメリ・ヒサール、後から出てくるピエール・ロチのチャイハネ…行ったなあ…

 蓋をあけたまま戸棚のいちばん上の段で忘れられている瓶入りの保存食品みたいに、彼は腐りかけていた。
(p120)


ぞくぞくする以外のことはない…腐ると別のモノがそこから発酵するのか。

 そして時間はまるで傷ついた虫がゆっくりと床を這うように進むのに、日々は激流のように過ぎていった。
(p145)


時間はハリスの時間、日々は変身に関わる時間。ということもさることながら、この文章、なんか異様に自分は共感できる。

 そして、この海と陸という単純な動く平面どうしの関係の他に、視点の微妙な変化にはどこか見慣れたものがないだろうか? 目を半分閉じて島々を見つめ、注意の焦点を絞らずにいると、まるで……。
 しかし彼がどれほどそっとこれを取り上げて、分析というコンパスの尖った先端ではさもうとしても、そのたびにそれは崩れて塵になってしまうのだった。
(p158)


この瞬間、ヤウズへの変身は完了していたのか。あとは「コンパス」というのは「ピンセット」の方がいいのかな、とも思うけど、ここでのコンパスが自分が知らない何かかもしれないし…
ニューヨークへ帰る前日、最終的に、マルマラ海の島を訪れたハリスは、写真に写っていた一家のポートレートが撮影された海岸を訪れ、そしてイスタンブールではなくアジア側のヤロヴァ行きのフェリーに乗る。そこでは女と子供が夫ヤウズを待っていた…
変身譚かくあるべし、というような精緻な作品。それに変身譚要素がなくとも、エッセイとしても読めるとも思う。
(2021 05/22)

「国旗掲揚」


愛国主義というのは革フェチの陶酔と同じだ、と言い切った…よく1973年の時点でこんなの書けたなあ、と思う。けど、ひょっとしてディッシュが一番風刺したかったのは、最後にレオナルドに会見し解雇を決めたナイルズ氏のようなわかっているふりしている「良識派」なのでは、と読後ちょっとして思った。
(2021 05/23)

「死神と独身女」、「黒猫」、「犯ルの惑星」

この3篇、いずれも性欲及びそれに付随というか共振する欲望がテーマ。それもどんどんエスカレートしていく(前の「国旗掲揚」も含めて4篇としてもいい)。
「死神と独身女」では戯画化チックに死と性欲が対比。
「黒猫」はもちろんポーの作品のオマージュなのだけど、原作あるだけにくすぐりや暗示が急速に現れる。
「犯ルの惑星」は繁殖の為に男女を別々にし、性交だけ別の惑星でやらせるというなんだかアトウッド作品を思い出させるものだが、これがこの作品集の中でダントツにSFっぽい語りになってるのも作戦? でもナントカ人という設定がいるのかどうかは今のところまだピンと来ていない。
(2021 05/30)

「話にならない男」

 そんな顔をしないで。裏切りというのはこの職業につきものよ。ゴミ箱を扱うのがゴミ屋にはつきものなのと一緒で。裏切りをなんとかごまかそうと手練手管を尽くす詩人もいるわ。わたしの好みは、率直になって、いきなり最初からみんなを裏切るほうね。
(p277)


他人と会話するのに免許が必要で試験を受ける。仮免の状態で半年?に本免許保持者から計3枚の推薦シール貰わないと仮免は失効する、という世界で起こる群像劇。
(2021 06/05)

近づく炎

 K・Cはパッケージから最後の一本になったシガリロを取り出して、親指の爪でマッチ棒に火をつけた。だが、シガリロに火をつける代わりに、彼はじりじりとマッチ棒から指の先へと迫ってくる黄色い炎を見つめたままだった。熱が耐えきれないほどになって、彼はマッチを落とした。
(p327-328)


「ディッシュ短篇集」の最後の二つ。「本を読んだ男」と最後のタイトルが結構長いやつ。この最後の二作品、割と最近のもので文学や演劇・絵画等の芸術がテーマになっている。一番のつながりは、「本を読んだ男」で批判的に出てきたプッシュカート賞を、後者の作品が受賞したということ。後はなんかどっちも更生施設とか仮釈放とか、そんな言葉が出てくる。その後はあんまりそのことへの言及が見当たらない。
(2021 06/06)

あと、国書刊行会の「未来の文学」シリーズ(「ケルベロス第五の首」や「アジアの岸辺」の)が「完結」したらしい。
(2021 07/04)

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