「悲しみを聴く石」 アティーク・ラヒーミー
関口涼子 訳 白水社エクスリブリス
悲しみを聴く石
昨夜から「悲しみを聴く石」(原題「サンゲ・サブール」)を読み始め。
ト書きみたいな部屋に宙吊り視点な語り方で、世界のどこか(想定はアフガニスタン)の、戦争で負傷した夫を看病する妻が描かれる。
標題の悲しみを聴く石は、人々の悲しみを聴き、ある時点で壊れ、それによってその人が解放されるという、落語の「堪忍袋」の悲しみ版みたいなもの。こういう仕組みというかアイテムというかも、案外に似ているものが各地にあるのね。
(2017 12/27)
宙吊りになった語り手
これは昔の格言の形をとっている。武器を手に取っている男達は、それそのものが快感になっているから、女無しでも生きていけるというそういうこと。この後の展開の夫の秘密ともオバーラップする内容。
女を娼婦だと思ってやってくる若い兵士との最中に「思い出」に襲われて笑い出してしまったことのあとで。
女の語りはぽつぽつと、また自分の語りに罪悪感を覚えながら、往きつ戻りつ進む、というのも女自身が語ること、告白することに慣れていない為。
相手が植物状態の夫、サンゲ・サブールだからこそ、女は話すことができる。父親の鶉を逃して猫に殺させたこと、似た境遇で娼婦となっていた叔母に(本当は夫のせいでできない)子供を授けるために目隠しした若い男と何回も性行したこと、などなど。内容もさることながら、語りの少なさと、時に過剰になることに、強く惹かれる。
解説の中の作者の言葉から
ここで作者の言う語り手とは、作者自身の視座のこと。だから、戯曲のト書きみたいに固定された部屋の内部の宙吊り視点になる。読者もまた。
また作者の言葉から。
作者ラヒーミーはアフガニスタンにいた頃からフランス語教育を受けていて、それから20年以上もフランスに住んでいる、それでもこの作品を初めて母語のダリー語(アフガニスタンのペルシャ系言語)ではなく、フランス語で書くことにこのような印象を持つ。
語り、告白が困難なのは女性だけでなく男性もそうであるということが、先に挙げた若い兵士などを筆頭に、フランス語で辞書を引きながら書き綴るラヒーミー自身にも、改めて思い至る。
(2017 12/31)
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