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「熊野でプルーストを読む」 辻原登

ちくま文庫  筑摩書房

新橋古本まつりで購入。終わりの1時間に寄って。
(2023 09/26)


創作秘話と書評から

 岩代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあれば また帰り見む
(p19)


萬葉集、有間皇子の歌。この有間皇子は、中大兄皇子らの罠で謀反人とされ、紀伊に流され、切目崎で詠んだ歌。
辻原登氏はこの切目崎の生まれ。切目は「日高」と「熊野」の切れ目。

続いて、辻原氏の作品「母、断章」の創作秘話。一家が熊野詣に行くが、男の子の目に石炭滓が入って取れない。そのまま熊野詣は続くがどうやら母親は離婚したがっているらしい。結末はなぜか母親が月夜に、素裸で川で泳ぐというもの…という作品が「群像」誌に掲載されたあと、友人に「石炭滓はどうなったの?」と言われて気づいて書き直した、という。

 しかし、おのれが何者なのか、と最後の最後まで捜査を推し進めてゆくオイディプスは、すべてを知っているつもりの観客の思惑を越えて、彼みずからを謎にみちた存在、怪物へと変貌させてゆく。その変貌に立ち合ったとき、結末を知っていると高をくくっていた観客・読者は、おのれの存在がいかに卑小なものであるかを思い知らされ、おそれおののく。このときだ、ほんものの魂の浄化がおとずれるのは。
(p46)


桜庭一樹「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」の解説から。

 もはや小説に描かれた女性を通して、男が世界を夢想しなくなったのだ。現代青年にとって、「おんな」は絶滅した恐竜である。
(p88)


ドストエフスキーの小説にある、神対人間の構図。日本では絶対神がいないため、そこに「おんな」を挿入したのだ、と辻原氏はいう。この「おんな」は娼婦のこと。ドストエフスキーにもソーニャ始め娼婦が出てくる。その「おんな」文学の最後を飾るのが大岡昇平の「花影」だと辻原氏はいう。
(2023 09/27)

「鮮やかなる受賞作」(長嶋有「サイドカーに犬」の解説)より。

 彼らはじつは仮構された視点なのである。探偵小説の探偵やスパイ小説のスパイと同様に現実には存在しない。探偵は犯罪を描くために、スパイは謀略を描くために、そして長嶋有の小説に登場する子供は、いまどきの「女」を描くために仮構された。
(p118)


「仮構された視点」か…覚えておこう。
ここでの「女」は「おんな」ではない、ないが(というところ何かがありそう…)
(2023 09/28)

中国旅行と大阪の芭蕉

 小説は、僕たちの人生の似姿を凝縮して提供する。つまり小説の第一行は誕生であり、最後の一行は死の断崖絶壁である。誕生は偶然であり、死は必然である。
(p143)


辻原氏は「ラスト重視主義なのだという。有名な小説の冒頭は結構知られているが、そういった小説でも最後の一文はあまり知られていない、と。
今日は第3部「仕事のあとさき」の途中、p227まで。この第3部は、文学評論的な第2部よりもっと広がった話題が多い。その中からダイジェスト…

上海へ新鑑真号(船)で行く。大阪から、辻原氏の故郷紀州を眺め(といっても見えなかった)上海へ。着いた4/1は奇しくも辻原氏の父親がやはり上海へ船で着いた日だった。英語には「シャンハイ」という動詞があって「船に無理やり連れ込んで水夫にする」という意味らしい…
中国明末のキリスト教カテキズム(教理問答)。馮応京という人の序文がなかなか…この人、仏教、釈迦が嫌いなようで、釈迦はキリスト教を剽窃したとか、後漢の皇帝が遣わした使者は西方でキリスト教を取り入れようとしていたのだが、インドに落ち着いて仏教教典を持ち帰ってしまったとか…

芭蕉が大阪で亡くなった後、船で淀川を上り、大津の義仲寺へ。芭蕉の辞世の句

 旅に病で夢は枯野をかけ廻る


樋口覚氏の「淀川下り日本百景」という本には、この句の「枯野」は「古事記」に出てくる船「枯野丸」?からとったと出ているらしい。あとは、ヘンリー・ジェイムズと谷崎潤一郎は似ている(アメリカ・東京→ヨーロッパ・大阪)など。

「四人の幻視者」


一番面白かった?のは「四人の幻視者」。
ツィオルコフスキー(1857-1935)…ソ連の「ロケットの父」そして「ロシア・ソビエトのSFの父」。何より彼がロケットを開発し宇宙探査することの理由が奮っている。「すべての先祖を物理的に甦らせることが最終目的。それには地球だけでは場所足りないから」らしい。
岡潔(1901-1978)…日本を代表する数学者。「日本民族は30万年前に他の星から地球にやってきて、マレー諸島辺りに落下、ぐるぐる回って日本にたどり着いた」らしい。
三上章(1903-1971)…日本語文法学者。「日本語に主語はいらない」…(ゆる言語学ラジオでもお馴染み)…
鹿野忠雄(1906-1945)…自然科学者・人類学者。蝶に魅せられる。1945年、ボルネオ島で助手や5、6人の現地人とともに消息を断つ。
この四人を綯い交ぜにして新たな主人公を作り上げ小説を書く、という。これは読みたい!…妄想らしいが、できたのかな…というか、ここに書いた各人のプロフィール自体も辻原氏の妄想混じっていたらどうする(笑)…
(2023 09/29)

家出と「マルテの手記」と「天王寺狂詩曲」

15、6世紀のロシアで王の息子と称し、王位を簒奪した男の話(マルテの手記」にある)と絡めて…

 青年期をきわめて微温的で不徹底な形ながら、もはやだれの息子でもないという力の圏内で過ごしてきたように思う。すでにだれかの子であり、だれかの父でしかない身となった今、あの頃の力を愛憎半ばした思いで振り返ることがある。
(p246)


引っかかるところありながら、意味がなかなか取りにくい箇所。
と思っていたら、ちょっと後でわかりやすく言い換えている箇所があった。

 われわれは常にだれかの息子であり娘です。しかし、少年少女時代、自分が、だれか特定の父親や母親の子である、この事実に耐えがたい一瞬というものが必ずあるはずです。それは、この父、この母であることが嫌だというのではない、憎んでいるわけでもない、ただこの特定、である、という事実が耐えがたい。変身願望です。いま、ここにいるわたしではない、何か別のものへ、別のところへ。
(p277)


辻原氏自身は13歳、17歳の時に家出をしている。17歳の時は、大阪から東京へ、映画撮影所を目指して歩いていくという計画だったのが、鈴鹿峠越えて亀山で倒れたという。
…自分などは、それがそのまま継続中となっているような。

 小説を書く衝動というのは、おそらくこのあたりから生まれる。つまり、単に私の記憶や想像の中に浮かび上がる私やあなたの姿を描くのではなく、他者の記憶や想像の中に浮かび上がる私やあなたを描きたい、という衝動である。そのためにはまず他者を造形しなければならない。
(p281)


これは「天王寺狂詩曲」から。ここで取り上げられているのは、小学生4年生の時の伯父との大阪旅行。天王寺駅で二人を迎えたのは女性と女の子。どうやら伯父の浮気旅行?

日野啓三の思い出ほか

日野啓三が亡くなった時の文章。辻原氏は沖縄へ新聞の短編小説賞選考のために同行していたという。その時、よく日野氏はホテルのラウンジの片隅で数時間じっとしていた。そこに一人でじっとしているのが好みだった。

 日野啓三は、見る人であった。現在を未来における過去としてみた。
(p286)


辻原氏の好きな日野氏の短編「天窓のあるガレージ」も、少年が使われなくなったガレージに住みついて、そこで宇宙人を見ようとしている。じっとしているのは同じ。
(前に図書館で借りた日野啓三短編集の「落葉」は、頭の中に落葉が入り込む。これも共通項ありそう…)
その他、歯医者の椅子が嫌いではないという意見(同感ではある)、トンボ・ユニオンズ(3年間だけあったトンボ鉛筆のプロ野球チーム)でプレイした後、出身のトラック諸島で大酋長になった日系のアイザワ・ススム、枚方から淀川下りの体験(芳賀徹氏などと)と与謝蕪村の世界、などなど。

 日記をつける習慣が全くないから困った。書き方も分からない。「事実」に対する抜き難い嫌悪感。
(p303)


書き方も分からないとかはまあ置いといて、最後の一文は何なのだろう。さっきのp277とかの文とも呼応しているのだろうけれど。
ということで、なんとか9月中に読み終わり。
(辻原氏の小説作品も見てみたい…日野啓三も…)
(2023 09/30)

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