「言語の脳科学 脳はどのようにことばを生みだすか」 酒井邦嘉
中公新書 中央公論新社
手話とピジンとクレオール
前に読み始めていたけど、難しかったから途中放棄していた(笑)「言語の脳科学」読み通そうと取り出してみた。
自然言語というのが今日のところのキーワードで、要するに普通の言語のように文法を備えているもの。手話に関しては、日本手話というのとシムコムというのがあって、前者は自然言語、後者はそうではなく一般?の日本語をそのまま手話に直訳したもの。では、よくテレビなんかの片隅に出てくるやつはどっちかというと、どちらでもない(笑)…両方の折衷版なのだそうな…知らなかった(現在変わってる?)。
前者、すなわち日本手話(他の国の手話もそうだが)は最初は耳の不自由な人々とのマイムでなんとか意志を通じてきた。明治期くらい。この段階がピジン。そのうちそのピジン手話が子供達に伝わり洗練されて自然言語となり、日本手話となる。この段階がクレオール。こうした「芸当」ができるのは10歳くらいまで。この意味で、人間の脳には文法の素になるものが備わっているのではないか、というチョムスキーの見解に到達するわけだが…
(2011 08/22)
自然・人間・社会…
「言語の脳科学」読み終わった…のかな?乳幼児がどのように言語を獲得するか、母音のマーキング説とか、臨界期ならぬ感受性期とか気になる話題が山盛りなのだが(中公新書にそれに特化した本もあり)、ここでは後書きにある人間科?の提案を。
教育(初等含む)を文系・理系に分けるのは、例えばここでの言語の例を見てもわかる通りムリがある。いっそのこと人間集団の種類及び人間以外(関わりも含め)ということで、標題のようなアプローチでいかがだろうか…と、先に言った酒井氏の後書きに触発された自分の考えを述べてみた。他の国ではどうなっているのだろうか?
ちなみに酒井氏自身は物理学専攻で、今は総合文化研究科所属…という、まさにそれを体現しているかのようなところにいるらしい…
(2011 08/24)
熱帯雨林地域の生物の多様性地域と、言語の多種地域が共通している、という指摘は面白いね。この本のテーマとはちょっとそれる話題だが・・・
(2011 08/27)