見出し画像

「ドイツの都市と生活文化」 小塩節

講談社学術文庫

阿佐ヶ谷銀星舎で購入
(2021 03/20)

ブルジョワの語源

昨夜寝がけに少し読む。
ドイツの都市…中世、領主の城の近くに付随して城下町作る場合もあるが、だいたいは交易から発展した町。城壁で取り囲んで(だんだん落ち目になり掠奪をするようになる騎士連中から守る意味が大きい)、教会と広場(市を開催するため)。これが初期に作る三点セット。それから市庁舎(ラートハウス)を作る。これもどちらかといえば集会所的な場所から来ている(「ラーテン」…相談しあう)。
城壁で守られた町か人々をビュルガー(ブルクの人、都市市民)と呼び、そのフランス語訳がブルジョワ…
(2021 06/07)

ドイツの町、日本の町

第2章はリューベック、第3章はドイツ(というかヨーロッパ)はストック、日本はフロー…町の生活において、人が人として生きることに自覚的である…市街地でも全部がオフィスというビルはあまり無く、人が住まない町は町ではない、という思想から。

この本1993年出版、東西ドイツ統合直後、旧東独との格差が問題となっていた時期。あと、ボンの水は(ローマ時代の水道を利用しているので)周りから来る人々が水筒持ってくるほど美味しいという…などなど、何かボンの話題が多い…住んでいたのだろうか。
(2021 06/08)

意外に脆さのあるマイスター主義


小塩氏は長崎出身…
それはいいとして、ドイツ人の主に仕事に関する特徴として、専門主義、個室(大部屋のオフィスというのはほとんどないという)、一つのことを黙々とやり続けるモノクロニック性(窓口等で係員の前に並べるのは一人だけ)、雇用から結婚まで契約書類を細かく(厚く)作る、自己主張の強さ(3度目に部下を叱る時は書面で)、仕事終わった後は飲みになど行かず真っ直ぐ帰る(自己の用事や娯楽も一旦帰ってから…)、ドイツの社会はトップ次第、トップがダメだと皆コケるマイスター主義の社会だ、と書いてあったが今はどうか?
とりあえず、個室はうらやましい…
(2021 06/11)

グリム兄弟と旧東独の問題あれこれ


グリム兄弟の千マルク紙幣と、彼らが初めてドイツ分断時にも続けられたドイツ語辞典、グリム家を訪れた1862年(弟は既に死去)の遣欧使節団の三人。
旧東独はその当時世界第三位のエネルギー使用国だったらしいが褐炭の掘りっぱなし(西側では植林等している)などで地下水位が低下しているとか、ライプツィヒの日本学研究所は旧東独政府によって取り壊され図書館の本も行方知らずという。そんな旧東独への投資には日本は出遅れていると指摘。
(2021 06/12)

第二部「日々の生活」まとめ


ドイツの朝のパン屋(小塩氏自身の置き忘れ事例付き)、二度の盗難とその後始末、入院(担当主任医のプライヴェートベットの割り振りがあるという…この時点から30年くらい経った今はどうなのか)、ドイツ人(ヨーロッパ人全体としても)は森でキノコやベリー類は摘んで食べるけれど山菜は全く食べない…

クリスマス(イブに蝋燭の灯のみでプレゼントと晩餐をした後、大人たちは深夜のミサに出かける。プロテスタント協会で「きよしこの夜」が流れ、カトリック教会でバッハやルターの曲が今では流れるという。小塩氏自身はプロテスタントなのだそうだが、両方行くという)

バングラデシュで一人医者として結核治療のため働く若い日本人女性(小塩氏の教会繋がり)、ヴァイツゼッカー大統領夫妻主催のヴァルザーの自作朗読会…
(2021 06/16)

ブレンナー峠でのゲーテ

ミュンヘンとウィーンの素描。オーストリアの日本研究の歴史。ベートーヴェン(ハイリゲンシュタットの村)とモーツァルト(ケッヘル1番の曲のメロディが最晩年の「魔笛」のアリアに使われている)。

ゲーテの「イタリア紀行」。ゲーテは「目の人」であるのと同時に「耳の人」でもあった。夜出発の私設馬車でブレンナー峠を越えてトレントに着いたゲーテは、そこでコオロギの音を聴いて感動する。

 いま、あたりは次第に暗くなりまさっていく。ひとつひとつの小さなものの輪郭が消え、巨大な諸像がますます大きく壮麗になった。そしてついに、すべてのものが、深い神秘な像のようにぼくの眼前に動いたかと思うと、突如雪をいただく山々の峯がふたたび月光に照らし出されるのが見えた。南と北の境をなすこの分水嶺の上に立って、ぼくを挟みこんでいるこの岩盤のはざまを朝日があかあかと照らすのを、ぼくはいまこうして待っているのだ。
(p281)


これはブレンナー峠での言葉。ここで描いて失敗作とした絵は、今ではワイマールの記念館にあるという。

 人間はひとつのことばかりにかかずらってはいけません。頭が変になります。人は百千ものことを、雑然と頭に持っていなくてはなりません
(p298)


教皇庁の士官とイタリアの馬車で同席したゲーテは、その士官にこう言われる。ファイリング好きなドイツ人には難しい課題? でもまあ、普通は逆だよな。

「自己を耕す」と著者について

…風呂に入って、中断したp308のとこから再開し、ほどなく読み終わり。
1941年に生活文化と余暇の投稿をし、投獄された、青年時代にハイデルベルクに留学していた三木清を引きながら、彼の主張は今でも(残念ながら)通用するという。自己を「耕す」(カルティヴェイト)という文化概念がないからなのだろう。

著者小塩氏軽く紹介。信州で、岩波文庫版「ブッデンブローク家」の訳者、望月市恵氏に学び、辻邦夫や北杜夫が先輩で、森有正も近くにいたという。旧制高校のドイツ文学科の世界そのもの…
(2021 06/17)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?