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「異教入門 中心なき周辺を求めて」 ジャン=フランソワ・リオタール

山縣煕・小野康男・申充成・山縣直子 訳  叢書・ウニベルシタス  法政大学出版局

読みかけの棚から
読みかけポイント:第1章と第4章?

第一章 理論における無感動
第二章 記号神学におけるユーモア
第三章 神-政治学における逆ねじ
第四章 文学における逃げ
第五章 デカダンスの時代における策略
第六章 革命における無意味
第七章 メタ言語における女性性
第八章 無作法についての論考

フロイト
ルイ・マランとパスカル
エルンスト・ブロッホ
ビュトール
ニーチェ
ゲランとミシュレ
孫子
(第1から第7までの章に取り上げられる固有名詞)

第1章 理論における無感動

 フロイトが欲動の二原則という仮説を問うとき、彼はまず、自分は確信の情動で触発されているだろうか、と自分の気分に問うている。仮説の妥当性とは言わないまでも、少なくとも、議論に値する理論的仮説としてその仮説が存在していることを合図する情動は現れているだろうか。これに否と答えたのち、フロイトは答えを訂正する。説得されたかどうか私には分からない、と。
(p9)

 第三の欲動「二元性」理論は学問ジャンルの理論的、実践的必要条件を逃れる。それは虚構としての理論である。それに特有な情動は無感動であり、確信ではない。
(p15)

 芸術は科学と同じく位置ずらしの可能性と旅の別名にほかならないからである。
(p19)


欲動の二原則…生の欲動、死の欲動。お互いがお互いを覆い隠して、お互いを参照しあっている、そんな感じ。無感動とは確信がないこと、サドみたいに「理念が糸を紡ぐ空間を、その空間が己れを開き続ける限り、欲望すること」(p16)。
ということで、第1章読み終えた。といっても20ページくらい…
(2020 10/10)

第4章 文学における逃げ

ビュトール「心変わり」読了記念、第4章から。
やはり?難しそうなので、とりあえずよさげなところをピックアップ。

 さまざまな異質な時空の、元来不可能なはずの共存としての都市。我慢のならない無意識としての都市。そしてこのとき逃走が始まる。逃走としての旅が出会いを迎えに行くのだ。この逃走とはまさに鉄道のレールや空中廊、活字の作る行やモンドリアンの長方形、シェーンベルクの音列や『音楽の捧げ物』の中のカノン、こうした逃走線上の逃走にほかならない。狂ったニジンスキーの山道の逃走、つまり、目的地のない逃走なのだ。
 逃走の旅とは何かに出会う旅ではない。それはひたすらさまざまな出会いに出会う旅なのだ。
(p91)


他のところも合わせ、ざっと見て、リオタールの思想のベースにはフロイトがずっといるのだと思った。
(2021 09/26)

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