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「チェーホフの世界 自由と共苦」 渡辺聡子

人文書院

鶴見西田書店で購入。
(2009 09/15)

チェーホフの父の店

昨日、寝がけに読む。チェーホフの父はかなり厳格で、店番させられたり、聖歌隊に入れられたりした。ギリシャ風甘いお菓子食べてて帰宅時間に遅れたとき、折檻されたという。ところがそんな父親の店が破産して…
(2021 04/07)

破産した後、父親はチェーホフの兄たちがいたモスクワに逃げて、チェーホフは店を乗っ取った一家の親戚?の家庭教師などをしつつ、親に仕送りしつつ、図書館で本を貪り読むという生活に。「嘘」からの「自由」を渇望していたチェーホフの思いはここから来ている。
最初の章読み終わり。
(2021 04/08)

チェーホフの兄妹とサハリン島行き


昨日分。寝つけ…とか言いつつ3章分。
兄アレクサンドルの再婚反対と、妹マリヤのバックアップの章。初婚の妻が亡くなったあと、すぐチェーホフがお世話になっている貴族の娘と再婚しようとしたアレクサンドルに対し、チェーホフはほぼ非難の手紙を書いている。相手を人間として見ていないと。一方3歳年下の妹マリヤに対しては、この当時でき始めていた女子高等教育学校に生活費苦しい中入学させたり(そにお陰で教員になれた)、遺言で最も大きい取り分を与えたり(チェーホフの妻オルガは、女優で元々自分で余裕で生活できた)とか。
そのマリヤの学生時代の友達でもあるクンダーソヴァと、彼女をモデルにした「三年」という作品の章。進取の精神で自由独立を目指していた彼女が困窮しているのを見て、チェーホフは彼女の誇りを傷つけずに援助することに成功する。それを解決したときに書き上げたのが「三年」(そのエピソード自体は書かれていないが)。
サハリン島行きと、その年(1890年)を挟む「ともしび」と「決闘」。サハリン島での調査はダーウィンの影響が大きいという。「ともしび」はペシニズムに浸っている若い男を中年技師が諭す話、「決闘」はトルストイに憧れて田舎生活しようとして挫折した男と社会的ダーヴィニズムの男が無意味な決闘をするという話。この話を広津一郎が自分の初めての作品「神経病時代」に取り入れている。「サハリン島」の出版は1895年。
(2021 04/11)

昨夜は「メーリホヴォ村の変わった地主」。ここに領地を持ったチェーホフは、集まってきた酒手欲しさの農民に「飲み代に消えるのは目に見えているから渡さないよ」と言ったり、そうかと思えば学校を3つ作ったり、医者としてコレラ流行する中働いたり。この本の付録?の最終章「チェーホフ旦那の思い出」はこのメーリホヴォ村の農民の回想。
(2021 04/12)

チェーホフとシモーヌ・ヴェーユ

昨夜はチェーホフとシモーヌ・ヴェーユ。チェーホフの死4年後にヴェーユは生まれたわけで直接の関係はなく、ヴェーユ自身チェーホフを引用などしているわけではないのだが、著者渡辺氏には「共苦」ということでつながっているみたい。自身を全て空っぽにして相手の苦しみを自身に受け入れる…チェーホフの医者としての活動、ヴェーユの工場労働などはその一例だと言える。

チェーホフ作品としては「妻」と「六号棟」。「妻」は疫病発生した時、夫の方は一定の金のみを与えて済ませていたのに対し、妻の方は委員会などを自分で組織し…という話。「六号棟」は新任の病院長が「六号棟」の患者と話しているうちに最後は自分が六号棟の患者になってしまう。この院長が患者に対しあんまり考えずにストア派のマルクス・アウレリウスの「自省録」などを散りばめて話すのだが、チェーホフもヴェーユも「自省録」はかなり読み込んでいた本なのだという。
(2021 04/13)

昨夜は農民小説の「谷間」(1900)を。小さな町の商家。そこにできた工場。ゴーリキーがこの作品に評価を与え、チェーホフ自身は「これでもう農民小説は書かない」と言ったという。この前の「百姓たち」(1897)、「新しい別荘」(1899)が農村の暗い面を見せたのに対し、「谷間」には希望が見えるとゴーリキーは言ったという。
(2021 04/14)

「貧しい農婦と使徒ペテロ」

 過去は、次から次へと生まれてくるできごとの鎖で、とぎれることなく今とつながっている。たった今、鎖の両端が見え、一方の端にふれたら、もう一方の端がふるえたのだ。
(p132)


貧しい農婦の家で、復活祭のペテロの話を語り手の学生がしたら、農婦とその娘が感動していた、という話。ペテロにふれたら、農婦がふるえた。キリストの時代と現代をシンクロさせる手法はロシア文学の伝統なのか。ドストエフスキーにもあったような気がするし、真っ先に思い出したのはブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」。
(2021 04/15)

「自由をめぐる三部作」


「箱に入った男」、「すぐり」、「愛について」
中傷を恐がる男、自然にあふれる領地を得たいと思って働いて結果地主として強欲となった男、世間体を気にして結ばれなかった男女、という感じ。
最後のは、「犬を連れた奥さん」の人物配置とほぼ同じ。それと1880年代の抑圧強化の時代、ギリシャ古典学が勧められ隆盛をきわめたのは、経済学とかの学問に比べ政治的に安定だから、という。最初の箱の男の職業がギリシャ古典学の教師。
(2021 04/16)

チェーホフの結婚と没後のメーリホヴォ村


自由を求める意識は「犬を連れた奥さん」の男の方にもある。
チェーホフと女優オリガとの結婚(別居)は、自分の余命が長くないことをたぶん知っていたチェーホフが、その後オリガの女優生命を続けさせようとした結果。一方オリガの方は自分がチェーホフの世話をできないことに悩みながらモスクワで過ごす。往復書簡はほぼ毎日、同居している時期を除いて(ロシアで刊行されている)。以前は「毎日、月と会うように妻と会うのは嫌だ」と言っていたチェーホフだったが、この頃は毎日月と会わないと不安になっていた…

1924年、チェーホフ没後20年に、ジャーナリストのペトローヴァが、メーリホヴォ村に行って3日間農民に聞き取り調査をした記録が付録?として。チェーホフの家からは何も盗まなかったとか、チェーホフが家で育てた少年の証言とか…でもこの時期、チェーホフの家を整備できなくて荒れていたという。最後のチェーホフの家の出会いは本当なのかペトローヴァのフィクションなのか(まあ、前者だと思うけど)。
(2021 04/18)

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