「サンクチュアリ」 ウィリアム・フォークナー
加島祥造 訳 新潮文庫
散乱
まずは「サンクチュアリ」というタイトルから。
さて、読み初めてすぐの印象を一言で言うと、「散乱」。
バラバラな町、バラバラな家、そしてバラバラな個人。
そんなバラバラなものをなんとか離散しないで繋ぎ止めているのが「サンクチュアリ」つまり家。フレンチマン屋敷はもちろん、ベンボウが家出してきた家と、ベンボウの妹が未亡人として暮らす家など、こうした家が主人公で、そこに出入りする人間は何かの流れていく流体の破片のようにも思える。
唯一、断片化していない人物が、フレンチマン屋敷に料理人としている女の赤子。この女ルービーと赤子は、「八月の光」のリーナとバイロンのような「光の筋」にある、と解説加島氏。ただ小説結末で明るく町を出て行くリーナとバイロンに比べ、結末に登場しないルービーと赤子、そして元の家に戻っていくホレスの筋は、前者が対比関係にあるとすれば、後者すなわち「サンクチュアリ」は秘匿とか寄生(これは違うか)の関係になる。でも、実際の人生は後者の方に近いのかも。
とにかく前置きとか枠物語とかいうものは何もなく、最初から主筋が始まる「金太郎飴」的な、簡潔だけど実の詰まった展開。他のフォークナー作品もそうだったかな。
では最後に、メインの「サンクチュアリ」、グッドウィンやポパイ、トミーたちが住む、フレンチマン屋敷の描写を見よう。
(2022 08/13)
彗星と穂軸
今日は第8章(という言い方でいいのか)
ここも前のp21のホレスの文章と同じように自分の一部が置き去りにされているイメージ。たぶん、ここまでのページでもそういう文章は随所にあったのだろう。
こちらは、この本を読むきっかけともなった、「フォークナーの町にて」で引用されていたコオロギの文章に見られる、宇宙的イメージを喚起させる、導入の文かと。地球上の小さな家のサンクチュアリと、それから宇宙と、その対比。
今度は(玉蜀黍の)穂軸。テンプルに割り当てられたベッド?のマットレスに穂軸が入っている。ここ以外にも「穂軸の音」は出てくるのだが、それは後にこの穂軸で行われる事態を明らかに予兆させている。
(「予兆」に「させる」ってつけられるのかなあ)
さて、ここまで3つの文を引用したけれど、全て視点はトミーとなっている。この小説でのトミーの立ち位置は、「響きと怒り」のベンジーのようなものなのか。フォークナーが視点人物として好む、一類型なのかもしれない。
(2022 08/15)
空間と時間の入れ替わり
周りの農村部から町にやってきた人々の描写。
町という空間-時間(時間の外側)-空間(玉蜀黍や綿のひろがる土地)-時間(黄色い午後)
と、時間と空間の表現が交互に小刻みに現れる文章。
さて、昨日読んだところから、今日読んだここまでで、語られることは少ないが、その語られない裏側で、ポパイとテンプルとトミーが事を起こし、前者2名は車で去り、トミーは殺されて町を散策中のホレスの目の前に置かれている。
(2022 08/16)
時間と空間、そして天体
第18章。リーがポパイとテンプルが車に乗って出かけていったことを前章最後に話し始めるのを受けて、この章はそこからテンプル側に移る。ポパイはテンプルをメンフィスのリーバの娼館に預かってもらう。その部屋の置時計はずっと十時半を示したまま。
この小説にはいろいろな人物が登場し、いろいろな筋が展開するのだけれど、本当の主役はそれらの外側の舞台装置である時間と空間そのものなのだ、といったような文章。それに天体の配置が交差し重なる。
このミス・リーバの二匹の犬(飼い主の機嫌が悪いと二階の窓から突き落とされてしまう)の表現から、それを眺めているテンプル自身の境遇がこれまた重なる。
(2022 08/18)
幻体による珍道中
今日は第19章から第21章。ホレスとルービーが話すパートは、フォークナーお得意の、誰かの告白や思い出話を聞く場面の一つ。
続いてはホレスが妹ナーシサと話す場面の、ナーシサの言葉。
人道主義からグッドウィン一家を助けようとしてるホレスに対しての、常識人ナーシサ。という構図といえば簡単なのだけど、この今から百年前のアメリカ南部の田舎町の女性の世界は、この町そのものだった、それ以外にはない、それを思うとこの小説を読む視点が複数立ち上がる。
一方、テンプルを探すホレスは列車内でクラレンス・スノープスという上院議員に会う。スノープスというのは、(たぶん)フォークナー後期の作品に多く出てくる一族、その一人がこのクラレンス。ぽつぽつとこの辺りに移住してきた一族のおかげで、その一族の票だけで上院議員になった、という記述からはフォークナーがこの一族をどう考えていたのかがわかる。
そして、その一族の一人ヴァージルと友人が遊びなのか何かなのかで、メンフィスを訪れる。訳者解説には、ポパイ-テンプルの筋より「むしろ、各所に挿入されたユーモラスなシーンが、より生彩を放っている」(p348)とあるが、この二人のメンフィス珍道中などはその典型例だろう。とにかく、この二人がたどり着くのがテンプルもいるリーバの家。その場面からこんな一文を。
前にテンプルがここに連れてこられた時にも、こういう都会の声と音の複合体の文章があった。やはり、そこに実際にあるのはこうした音で、そこにいる人物は作者によって仮に作られた幻体のようなもの、のように思えてくる。
…そしてこの二人はここでクラレンスに会う。
(2022 08/19)
全てが切れたあとの誇りと、地軸が擦れる音
昨日寝る前に少し読もうとしたら、クライマックスだった…前に「フォークナーの町にて」(加島祥造著 関連書籍参照)で引用した文も出てくるし…
内容は、例のリーバの家で、テンプルがポパイとの一件を語るところ。昨日あげたユーモラスな二人組の話は、最終的にはここにつなげる導入だったわけだ。
彼女がテンプルに「臆病者」と言ったり、男の子に変身しようとしたり、そういうことや考えがその時そのまま起こったということはないだろう。誇りを持つということは、こういった最後の心理的安全弁が切れた時にすがる場合にも使われる、または人間的退行の最終局面に現れるものなのかもしれない。
一段落まるごと。
同じ加島祥造訳なのに「フォークナーの町にて」と案外違うなあ(最後に再掲しておく)。
感覚や時空の違う種類のものが重なり合う表現が巧みに入れ込まれている。時間の潮とか、忍冬のにおいの冷たい煙とか。「月が頭上に…」の文は今回ここで一番自分的に印象に残った箇所。まさに時空に吊り下げられた感覚。
そして地軸。ホレスの内面が外側に裏返って展開され、そこに虫の音が加わる。本当に停止するのは彼の思考そのものであろう。
こちらの方が、ホレスの思考に寄り添っている感じ。
(2022 08/20)
小説の謎とその外側に立つ詩
「サンクチュアリ」昨日読み終え。まずはリーバと殺されたレッドの知り合いらしい二人の老女?の会話から。ここは、小説構造的には、リーバの家でのテンプルとポパイ、レッドとのやり取りが語られる箇所。上記会話は、全ての作品内関係を示しているところか。あとは、この二人が連れている5、6歳の少年というのが、ビールを次々盗み飲みする件…これなど、百年経とうが、こうした残酷な世の中はずっと続いていくほかないという印象を与えるのだが。
次は(本当は殺人はしていない)グッドウィンが、群衆にリンチにあってガゾリン罐を背負い火をつけられている、その騒ぎを遠くで聞いた(感じた)ホレスの箇所。
解説にあった、グッドウィン一家とホレスの刑務所最後の夜と、牧師と一緒に祈ることを拒否し金を気前よく与えながら絞首刑に処されるポパイとの対比。両者とも自分の命を消極的ながらも自分から手渡した格好にはなるのだが。自分にとってまだわからないのが、グッドウィンの行動。酒の密売ということはあるにせよ、どうして自分の犯した罪ではないものを黙して受け入れるのだろうか。そこにはまだ何かある?
ここで、少し脱線。そもそもだけれど、この小説のあらすじ、ポパイがテンプルを玉蜀黍の穂軸で犯し、トミーとレッドを殺した…というのは、これは実際にあったことなのだろうか。テンプルの件にしてもレッドの件にしても、それが語られるのは、テンプルの半分狂ったような告白だったり、噂伝聞だったり。読後感としては、テンプルの偽証と同じくらいの位置にあるような感じなのだが。
そして、最後はこんな文章で閉じられる。
これはテンプルとその父親の判事の描写。この二人、なんとパリにいる。あの町は離れるとは思うけれど、まさか国外にまで。父親には娘が嘘の証言をしているとわかっていたのだろうか。
様々な筋が入り乱れ、真偽が明滅する人間社会よりも、美しい詩の文章がかちりと外側にある、という印象のこの作品。p319の文章もそしてこの文章も、様々な感覚や時間と空間が混ざり合って、そして溶け込んでいく。
(2022 08/22)