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「アルゴールの城にて」 ジュリアン・グラック
安藤元雄 訳 岩波文庫 岩波書店
安藤氏は前に詠んだ「シルトの岸辺」の訳者でもある。
アルゴール、アルベール
今日から「アルゴールの城にて」を読むことにする。グラックの処女作。
例によって、というか、今まで読んだものより余計にというか、長い長い文章の折り畳み方で、すらすらと読めるものではなく、またそうした文章の一つ一つがいちいち心に引っかかるので、なかなか大変なのでけれど。なんかそうして読んでいくと、最初からもう物語の終わった情報を作者から投げられているような感覚もしてくる。というわけで、さっき読み終えた「墓地」の終わりを少し。雲の描写。
そのふくらんだ、純白にまばゆい腹と、その胸に開くかと見える深い影のくぼみとの対照の妙をたっぷりと味わわせてくれた。しばらくはその量塊全体をゆらゆらさせて、嵐をはらむ無垢の壮麗さでこの死の風景に光彩を添えた後、やがて雲は遠ざかり、わずかののちには、干からびた草に吹く風の絶え間ない口笛と、砂地を踏む馬の単調な鈍い足音だけが、人けのない浜をなおも賑わす唯一の生のしるしかと思われた。
(p51〜52)
雲を見ているというより、雲を描いたシュルレアリスムの絵画を見ているかのよう。「賑わす」という言葉が淋しい場面に敢えて使われることで、余計に淋しい風景が強調されている。
アルゴールは城の名前、アルベールは登場人物の名前。
(2016 10/10)
崩壊
このまどろむ城が、その眠りこけた謎の従僕たちもろともに崩れ去る伝説の城のように、訪問されるのでなければ消滅する、そのどちらかでなければならないという気がした。
(p55)
作者自身がはしがきで書いているけど、ポーの「アッシャー家の崩壊」への目配せか。でも訪問しなければということは心的事象であるということか。城というのが、ある人達の共有物になっていて、その数人の心の中にしか存在しない、とか。或いは誰も自分が見ていないところでの物の存在を立証できない。そういう意味か。
(2016 10/11)
グラックと能
城を浸している定かならぬ薄明かりの中では眠りこそが彼らの最も自然な、文字通りあらゆる意味で最も完全な生活様式となってしまい
(p118)
並木道は二人から少し後ろのあたりで、途方もなく生い茂った下草によって徐々に埋め尽くされ、少しずつその幾何学的な威厳を放棄して、一面の樹海の中へ行き止まりとなって消えているのが見て取られ
(p145)
どっちの文も、夢と現実との境目、入ったらその入った場所からは帰れない…という特徴が読み取れる。
この作品が大好きだった倉橋由美子が、能の舞台と語り手のシテに例えているのが興味深い。能面つけて、登場人物の個人を越えた、関係性の図式のみに還元されていく、そういう仕組み。
(2016 10/12)