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「プルーストを読む生活」 柿内正午

H.A.B

読みかけの棚から
読みかけポイント:p60くらいまで

書肆スーベニアとプルーストを読む生活


気になる古本屋を巡る旅。今回は浅草橋スーベニア。浅草橋駅西口。北側。以前は向島にあり、今年移転オープン。
…だから、まだ新しい本棚の木の香りがする。古本棚を周りに、真ん中に変わった出版社を中心とした新本。レムの短編ベストか、ベルクソンにするのかと思いきや、その真ん中の新本テーブルから、プルースト読書日記?in  note…(「プルーストを読む生活」柿内正午(H.A.B))プルースト読みながら、だいたい他の本のこと書いているという、妙な本を購入。たまにはこういうのも…
会社員らしいけれど、本の出版もブログもポッドキャストもしているそうな。カキウチではなくカキナイなのも、出版社がH.A.Bなのにエイチアンドエスというのも紛らわしい(笑)が、プルーストとそれと関係ない本を並行読みしながら読書好きあるあるな日常を垣間見れるので楽しそう。巻末の読んでいた本一覧眺めているだけで楽しい。
あと、「衣食住」という本内zineと栞2枚入り。

指先から思考へ

やっぱり、というかなんというか、ただの読書好きではなく、面白い視点を多く持つ人だった。

 指先という身体が先立ち、思考がそれに従う。手書きのスピードは思考と身体運動との齟齬が少ない分、書く速さで思考ができるし、考える速さで書かれる嬉しさがある。キーボードで書くことは、身体運動に引っ張られる形で思考があり、自分の思惑を超えて思考が動き出すようなスリルがあるように思う。
(p22)


手書きか手打ちかで、書くものの内容も変化する、というようなことはよく語られるとは思うけど、手打ちの指先運動に引っ張られて思考が動く、というような考えは自分にはなかった…けれど、こうやって入力していると確かにその感覚はある。何かの下書きをただ打っているのではなく、初めからキーボードに向かっている時には。
プルーストがこんな風に書いたらどうなるのだろうか。「失われた時を求めて」の文字数は、例えば糸井重里氏のTwitter全記事の文字数より少ないのだそう。「失われた時を求めて」もTwitterだと思えば読める?
(2022 10/27)

身体とテクスト

久しぶりにちょっとだけ読む。

 それぞれの体はそれ自体で十全に物語である。
(p58)


いつもはブッキッシュにテクストに囚われるのに、オフィスマウンテン(って何だろう?)見るときには、能と同じように身体を見る。能ではテクストは邪魔にならないのに、この劇?ではいちいち気になる…という指摘は楽しい。

 歳をとって自意識を手放してうれしいことのひとつに、言いたいことがほとんどなくなってやりたいことが増えた、というのがある。
(p60)


こういうことをさらりと言えるのはいいなと思う。
ってな具合にまた少しずつ読んでいくと思う。
(2022 11/07)

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