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「エクソダス 移民は世界をどう変えつつあるか」 ポール・コリアー

松本裕 訳  みすず書房


プロローグと第1章「移民というタブー」

著者ポール・コリアーの祖父の代、ドイツからイギリスへ移民として渡り、第一次世界大戦時に店を襲撃されて妻をそのショックで亡くし、子供(著者の父)は名前を変えてチャールズ・コリアーになった。
この本はおおまかに言って三分構成。移住先の社会、移民、(移民元の社会に)取り残された人々。移民問題は、(自分もそうだが)移民自体と移民先には注目するが、移民元の社会にはあまり目が向かない。せいぜい優秀な人材の流出くらいか。著者ポール・コリアーはその移民元の社会、最貧困の社会に注目している(「最底辺の10億人」という著書もある)。個人的には移民元となり得る社会は「最底辺」ではない、とは思うのだけど(つまり移民すら生み出せない社会が存在しているのではという疑問)。

 これほどまでに中身が異なる公共政策を、私はほかに知らない。この政策の多様さは、異なる状況に対する洗練された反応なのだろうか? それはあやしい。私はむしろ、移民政策研究におけるこの気まぐれさは、わずかな知識で感情に任せた有害な背景を反映しているのではないかと思う。
(p10)

 ナショナリズムや人種差別主義の恥ずべき痕跡を残さない移住制限は、すべての高所得国における社会政策のますます重要なツールとなるのだ。恥ずべきなのは移住制限を設けることではなく、その内容が不適切であることだ。転じて、これは真剣な議論を妨げてきたタブーを反映するものでもある。
(p24)


ここで見られるように、著者は穏やかな移住は利益をもたらし、大量移住は損失をもたらす、という考え。重要なのはどのように柔軟な制限をかけていくかという問題意識。
(2024 02/22)

第2章「移住はなぜ加速するのか」


前提:1960年代、ほぼ移民が制限されていた時代までに、世界の国々は繁栄国と最貧国の二極化、フタコブラクダのようになっていた。

 高所得国の繁栄がこの土台にあるとすれば、それは移住にとって大きな意味を持つ。移民は基本的に、機能不全な社会モデルを持つ国から逃げ出しているのだ。今この一文を読み直して、その意味を熟考してみるといい。たとえば「他の文化に敬意を払う」という善意に基づく信念に、ほんの少し警戒心が芽生えるかもしれない。…(中略)…だが移民自体が自らの足をもって高所得国の社会モデルに一票を投じている。
 多文化主義の手抜きな主張には警戒するべきだ。
(p33)


中略した部分には、貧困国の文化や人間そのものはそちらの方がすぐれているかもしれないと書いてある。著者はここから、社会モデルの乗り換えを説明している。スペイン、ギリシャ、ポルトガルの独裁政権崩壊から、ソ連・東欧の革命、そしてアラブの春…著者自身は、もし社会モデルの乗り換えが終わり同じものではないとしても一貫性がある世界になったら、移民ではなく情報、商品、金銭、考え方が動く時代がくる、その方が効率が良い、と考えている。ただそれよりも経済格差の方がはるかに大きい。

移住の力学。所得格差が一定であるとすれば、構成要素は三つ。
1、ディアスポラ(移住先の先行移民)の規模が大きいほど移住しやすい
2、ディアスポラは、移住先の主流社会が一部吸収していく
3、2の吸収率はそのディアスポラの希望によって決まる。ディアスポラの規模が大きいほど吸収率は下がる
吸収というのは、移住元の社会のアイデンティティがなくなり移住先社会に溶け込んだ状態。著者も前に挙げた通りドイツ出身の家系だが、既にドイツのディアスポラではないと述べている。吸収されないディアスポラは、移住元に残っている移住希望者を支援する(だから1が成り立つ)

で、「移住はなぜ加速するのか」だが、所得格差は「おぞましい」ほどで大きいまま、フィードバックは小さくほとんど機能しない(移住先でも移住元でも生活に変わりなければ移住は止まっていくが、その兆しがない)、移住が止まらなければディアスポラが溜まっていくに従い移住はしやすくなるという三つの要素が絡まり合うためということ。著者は穏やかな移住は利益をもたらすが、大量移住は損失をもたらす、という考えなので、この加速していく動きをどこかで調整かけるべきだということになる。果たしてどうやって…
(2024 02/25)

第2部「移住先の社会-歓迎か憤りか?」-第3章「社会的影響」


p90までの今のところのポイント3点。
移民社会が大きくなるに従って、先住社会人口内でも相互不信が大きくなる(パットナム(「孤独なボーリング」…)らの研究)
移民が低所得層を厚くすると、高所得者層は再分配の意思を低下させる
第2章で見た通り、吸収率は近い文化の方が大きくなる。よって、文化的に離れた民族のディアスポラ集団のみが生き残り更に大きくなる(ディアスポラ曲線と移民関数が交わらず均衡に至らず移民が増え続けるケースもあり得る)。
(2024 02/26)

ロンドン、タワーハムレッツ区はバングラデシュ系住民が半数を占める。ここでは、イギリスの政党よりバングラデシュの政党の影響が強い。この区では今、区から市への格上げを狙っていて、それが実現すれば移民優勢の政党の影響力が増す。
(ちなみにバングラデシュではヴェールはつけていないらしい…コリアー氏はヨーロッパでのヴェール着用等の動きはヨーロッパでのイスラム主義の動きという)

ムスリム女性のヴェール着用についての英仏差について。これはコリアー氏によると吸収率を高めるかどうかの差。フランスはヴェール禁止で統合主義、イギリスはヴェール自由で多文化主義。吸収率は前者で上がり、後者で低める。後者ではディアスポラ曲線は平板化し均衡は先になる。

第4章「経済的影響」


イギリスでの移民増加時の賃金調査を見ると、最底辺層以外では賃金が上がり、それは最底辺層の低下を補う以上のものであったという。これは移民効果で全体的な市場効果があったから。ヨーロッパにおいては、先住人口より移民の方が技能が優れているという。が、例えば住居費も上昇し、先住人口が国内を移住して、経済状況が好転している地域(イギリスの場合イングランド南東部)に行くのを妨げる(そこには既に移民が多くいる)。
東アジア系移民に対して。東アジア系は教育熱が高いため、移民先でもそこの高等教育機関の定員の多くを占めてしまう傾向がある。北米の大学では東アジア系に定員を設け必要以上にならないようにしているのに対し、イギリスの私立学校の中には逆に東アジア系移民を優先的に入れるケースもある。

ヨーロッパでは刑務所における外国人の割合が高い。一方アメリカでは移民の犯罪率は先住人口と比べると大幅に低い。後者はかなり意外だが、移民の多くを占めるメキシコ系の家族構造、職業倫理、宗教的献身のためだという。これは1950年代のアメリカ人が持っていたのではとサンプソン教授は語っているという(つまり、どこかでアメリカ社会はこうしたものを失っていった)。前者、ヨーロッパの事例は、元々移民には若者が多いこと、差別的な労働市場、社会的な絆・相互共感が築けないことなどが理由。

 文化的差異の保全が公共サービスへの脅威となり得るにもかかわらず個人の権利とみなされるのなら、この差異に対する権利と、先住文化が実現した公営住宅に対する個人的権利との間には緊張が生まれる。
(p112)


ここでの公営住宅制度、あるいは前章で出てきたイギリスの非武装の警官の習慣(さすがにもう廃れているらしい)など、先住文化が築いてきた文化的習慣と移民文化・社会との軋轢という視点は今までなかったなあ。
先住社会の高齢化の穴を移民が埋める説。技能を持つ移民は即戦力のため企業は歓迎するが、先住住民の若者の機会を奪う。ヨーロッパの徒弟制度(研修)は移民流入時に崩れた。
移民流入が先住住民の流出を産む? まだ関係性はわからないとしているが、実際はあるのではないか。
ゲストワーカー制。主に中東ドバイなどでの移民を労働以外の社会から排除し期間が終わったらすぐ退去させる政策。ドバイの移民率は実に95%。そこまでいかないけれど、アメリカは割と国外退去させる。ヨーロッパでそれを実行するのは懸念があるとコリアー氏。
(2024 02/27)

第3部「移民-苦情か感謝か?」-第6章「移民-移住の勝ち組」


技能の低い移民は平等な国を好み、技能の高い移民は不平等な国を好む…前者ヨーロッパ、後者アメリカ。前者は福祉国家でもあり、技能の低い移民が来た方が先住人口への悪影響が大きい。
移民から母国の家族に対する送金。少額の送金が定期的に行われている場合が多い。これだと手数料の割合がかなり高くなるが「家族のことを忘れたわけではない」と伝える意味をも持つ。移民自体は、家族からのそして母国社会からの束縛を脱したいという欲求をも持つ。

 貧困国の家族は、富裕国の企業の鏡写しのような存在だ。多国籍企業は主に高所得国に拠点を置いているが、多国籍家族は主に低所得国に拠点を置いている。企業通じて、高所得国家庭は余剰資金を貧困国へ送る。一方、家族を通じて、低所得国の家族は余剰の労働力を富裕国へと送るのだ。
(p151-152)


非合法に入国する様々な方法…ビザ発給役人に賄賂送るとか政治的亡命とか密入国するとか…は昨年などに読んだいろいろな本思い出す。アディーチェの「アメリカ大使館」とか、「トゥアレグ」のサハラ砂漠での密入国とか、ガッサン・カナファーニーのタンク?の中に入って密入国しようとしたけれど脱水症状で亡くなった人とか…
北キプロスのトルコ系北キプロス人は歴史的事情でイギリスへ割と優先的に入国できるという。結果現在は20万人前後のトルコ系北キプロス人がイギリスにいて、元々の北キプロスでは8万5千人に減っているという。そこには今度はトルコ本土から移民が大量に流入しているという。こういう国の民族構成を丸ごと変えてしまうような移住は正しいのだろうか?とコリアー氏は問う。一切の自由制限を拒否する極端なリバタリアンや、シュミレーション結果を現実世界に直接当てはめようとする人しか賛成しないだろうと…
(2024 02/28)

第7章「移民-移住の負け組」


国外に移住した人々は、家族親戚に対しての移住の援助はするが、他の同じ国の移民は競合する。あとは、所得は増えるが、幸福度(移民自身に1から10までで採点してもらうなど)では所得には比例せず、移住年月が長くなるにつれ逓減する、場合もある。

第4部「取り残された人々」-第8章「政治的影響」


テーマは最貧国の移民は自分の国のガバナンスを再生できるのか。第1部には、移民にはより良い社会システムへの乗り換えの意味があるとあった。とすれば、外に出て良い社会システムに触れた移民は元の国のガバナンスを良い方向に動かすことができるのではないか、という問い。研究はまだまだ少ないとはいうが、ここに出ている事例見ていると肯定的に思えてくる。一方、外で純粋培養?された極端な思想を持ってくることもあり、スリランカの「タミルの虎」などはその例(レーニンやホメイニも?)。アフリカのカーボベルテとエリトリアは、両者とも多くのディアスポラを海外(主にアメリカ)に有しており、両国政府が毎年そのディアスポラ社会を訪問しにいくという。ところが、両国のガバナンスを見ると、カーボベルテは上位に、エリトリアは下位にいるという。やはり移民の母国に与える影響は補助的なものに過ぎないのだろうか。
(2024 02/29)

第9章「経済への影響」

 私自身が最底辺の10億人に関する調査を続けている動機は、圧倒的な貧困に捕らわれたままの膨大な未開発の能力に気づいたからだ。私の父は聡明な人だったが、12歳で学校をやめさせられ、その後1930年代の大恐慌を経験した。父は、人生でチャンスを与えられなかったのだ。
(p189)


プロローグ以来の著者コリアー氏の父親の話題に戻ってきた。
移住の結果、経済は発展途上国において若干プラスなのだが、内訳はハイチなど最貧国はもとよりガーナやベトナムなどの一見成功しているように思われる国々でも正味損失があるらしい。発展途上国の大国、中国、インドを初めブラジル、インドネシア、バングラデシュ、エジプトでは、成功の割合は些細なものだが、絶対値が大きいので最貧国の分までカバーしてしまう、ということ。中国では一旦欧米で教育を受けて帰国すると国内で成功を求めてきたとされる。一方アフリカの最貧国では帰国してくると欧米でついていけなかったと看做されてしまう。こういう人々が付加してしまう物語性(ロールモデル)は案外強い。

 最近おこなわれた独創的な研究では、移民政策が緩和されればされるほど、移民は故郷に仕送りをする意志が減ることがわかった。その理由は、規制が緩和されたことで移民がより多くの親戚を連れてくることができ、そのため仕送りをする必要性が減るからだ。
(p204-205)


これも考えてみればまあそうだが、一見意外な結論。コリアー氏の場合、既に仕送り意志が低下し始めてきているこの段階である程度の規制が必要と考えていそうだ。
(2024 03/01)

第10章「取り残された?」

 移住が生み出す富裕国と貧困国間の大きな二つの経済的移転は、仕送りと頭脳流出だ。仕送りは富裕国から貧困国への隠れた援助で、頭脳流出は貧困国から富裕国への隠れた援助だと言える。
(p218)

 実際には、高所得国のほとんどが0.7%よりはるかに少ない額しか貢献していない。したがって考えられるのは、左手で援助を提供しながら、右手では援助を受け取っているということだ。援助は寄付ではなく、返済なのだ。
(p220)


0.7%というのは国連の定める、国民所得に対する援助予算目標。

第5部「移民政策を再考する」-第11章「国家とナショナリズム」

 人は個人であるのと同時に、社会の一員でもある。人間の行動について十全な理論をたてるなら、その性質のどちらの側面も取り入れなければならない。素粒子を粒子と同時に波であると認識できたために物理学が進歩したのと同じことだ。
 粒子としての人と波としての人のバランスが、国をどう見るかを形作る。粒子の側から見ると、国はいずれかの時点でいくつかの粒子が居住する、任意の地理的・法的主体だ。だが、波の側から見ると、国はある人々であり、彼らは相互共感によって結びつけられた同じアイデンティティを共有する。
(p224)


アフリカの事例。アフリカでは直線状に植民地が切り分けられ、それを独立国家が相続したため、元々のアイデンティティと国境線がずれている。ほとんどの国で歳入は集権化して中央に集まるのに、アイデンティティは地方・氏族レベルに留まっている。そのため、「公的財産は氏族のために掠奪していい共通の資源の備蓄」(p231)と見做されていて、再分配機能が働かない。ケニアとタンザニアの国境で、同じ民族構成の両側の村で、ケニア側では異なる民族の協力が見られなかったが、タンザニア側では普通に協力していたという研究結果がある。ケニアのケニヤッタ大統領は民族性を操った政治をしたのに対し、タンザニアのニエレレ大統領は民族より国家を重視したため、という。

最後は移住受け入れ国側(政策で移住をコントロールできるのはこの側面でしかない)のコリアー氏の政策パッケージ案。

 移民に上限を設け、移民を選抜し、ディアスポラを融合し、そして不法移民を合法化する
(p247)


これにより、第5章で見たパニックの政治経済モデルと比べ、移住の初期段階、急速に移住してきたところで、移民関数・ディアスポラ曲線ともに近づき、均衡が成り立つ。移民選抜は、教育水準、そして受け入れ国政府と企業の二重選抜性(ニュージーランドやドイツ)。最後の不法移民を合法化というのがちょっと意外だが、不法移民をそのまま放置するよりも、ゲストワーカー的に承認し(福祉は受けられない)、ディアスポラ吸収のための教育などを通して正式に合法化する。それを拒否する移民は国外退去させるなどの政策になる。
ということで、読み終え。
(2024 03/02)

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