アンリ・ミショー 「一体お前は、お前はいつやって来るのか?」
「アンリ・ミショー詩集」小海永二編訳 双書・20世紀の詩人 小沢書店
一体お前は、お前はいつやって来るのか?
一体「お前」は、お前はいつやって来るのか?
いつか、「お前」の手を拡げて、
おれの住む街の上に、
おれが真に絶望する熟した機会に、
一瞬の雷鳴の中を、
恐怖と至上権とでもって、おれの肉体と、
おれの思想=イメージの、かさぶたの出来た肉体 すなわち
滑稽な宇宙とから、おれを引き離しながら、
おれの中に お前の恐ろしい探り針
「お前」の存在の恐るべきフライス盤を投下しながら、
「お前」の真っ直ぐな征服し難い大伽藍を
一瞬のうちにおれの下痢の上に立てながら、
おれを人間のようにではなく
砲弾のように 垂直な道の中へと発射しながら、
お前はやって来るだろう、
お前はやって来るだろう、もしお前が存在するなら、
おれの漆喰、
おれのいやらしい自律性におびき寄せられ、
「エーテル」から、どこでもいいどこかから、多分、ひっくり返ったおれの自我の下から、飛び出して、
「お前」の常規を逸した行為の中におれのマッチを投げ込みながら、
そして あばよミショー というわけだ。
さもなけりゃ 何が?
「決して」が? 「否」が?
言ってくれ、「大当り」よ、一体お前はどこに落ちたいのか?
(p81-82)
アンリ・ミショー(1899-1984)
子供の頃から、外界と折り合いをつけるのが難しい人だったらしい。晩年は画家としても活躍。
詩は…今のところ、自分の好みではないかな…「おれは」って炸裂するのは苦手意識…でも、本開けたところにある写真はそういうイメージとは正反対の端正そうな人物。
この詩でいえば、やはり戦時体験というのが色濃く出ていると思う。だけれど、それを超えてそうした体験のない自分にも迫ってくるものがある。
(2022 09/25)