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「痴愚神礼賛・対話集・ユートピア」 エラスムス、トマス・モア

渡辺一夫・二宮敬・沢田昭夫 訳  世界の名著  中央公論社

エラスムス2編

昨日からエラスムス。「痴愚神礼讃」
今のところエラスムスの重きは痴愚神の側にあり。
(2007 11/09)

昨日・今日とエラスムスの「対話集」読んでいる。これも当時のカトリック教会の批判・皮肉てんこ盛り。どれだけそれを現代社会に生かせるかが、読み手のポイント。
あとは「ユートピア」(トマス・モア)か…
(2007 11/27)

所有か共有かって…


かなり古くからの議論なのね。
昨日からトマス・モアの「ユートピア」読んでいる。導入部にあたる第一部で、この話題が出てくる。そこで共有の例として出てくるのがユートピア国。その話を聞きながらモアは「共有ではうまくいかないのでは?」としばし考える。

この議論も15・16世紀まで遡るのか?と思いつつ注を見ると、なんとここでの議論はプラトンとアリストテレースが祖になっているらしい。西洋哲学史の壮大な構図。プラトンは「国家」で示したように共有派、アリストテレースはトマス・アクィナスに連なる所有派。
21世紀になって「資本主義の大勝利!」なんて思っていたら大間違い。事態は人間社会が終末を迎えるまで続くらしい。
(2007 12/05)

道徳か快楽かって


「ユートピア」における西洋哲学史の壮大な構図、第二弾。
今度はストア派とエピクロス派。だいたいモアはエピクロス派を導入し、ストア派を補うというスタンスでいるみたい。エピクロスっていうと「快楽→贅沢→酒池肉林」という連想が働くかもしれないが、本来のギリシャの思想は、それよりずっと瞑想的で静かなもの。そのような快楽状態をアタラクシアと呼ぶが、それは自分も追い求めているものだったりする。そんなに詳しくは知らないけれど。
モアの言う快楽ももちろんこっちの方。それに社会との関連で、セネカやマルクス・アントニウスのストア派を入れた、という感じ。
でも、ユートピアは存在しえないから「ユートピア」なのね…
(2007 12/06)

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