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「ジンメル・つながりの哲学」 菅野仁

NHKブックス  日本放送出版協会

都賀のトルバ堂書店で購入。
(2014 09/06)

「社会学の根本問題」から

 こういう[客体化された]相互関係のほかにも、人間と人間の間には、もっと小さな、一つ一つとしては問題にもならないような関係形式や相互関係様式が無数にあって、それらが公的とも言える大きな社会形式の間へ忍び込んで、それで初めて世間でいう社会が生まれるのである。
(p35 「社会学の根本問題」より [ ]は菅野氏の補足)


大きな社会形式としては国家・家族・組織など、小さなものとしては「限界現象」というすれちがいのような相互作用にまで至らないものまで。社会とは相互作用の織りなすネットワーク。
人間の認識は必要だから生まれた、というのもなかなか。

 成員に対して部分的機能という一面性を要求する[社会という]全体と、自分自身も一個の全体たろうとする部分[である個人]との間のこの葛藤は、原理的に解消することは出来ない。
(p77 「社会学の根本問題」より [ ]は菅野氏の補足)


問題はこの葛藤は人間である以上避けられないものだと言っているところ。近代以前にも存在していたし、現時点でも解消されてはいない。「社会学の根本問題」はジンメルの死の前年に出版された、ジンメルにとっては久しぶりになる社会学の本。
(2014 09/07)

社会の成立と秘密


「ジンメル・つながりの哲学」から4・5章。なんか時々、引用しているジンメルの文章と著者菅野氏がつなげて書いている内容が微妙にずれていることがあるような。
それはともかく、第4章は社会的相互作用が成立する条件。3つあるのだが、3つ目が前のと重なって見える。

 むしろそうしたあるがままの人間どうしの関係の形成をいわば断念することによって、「社会は可能に」なっているのだ。
(p96)


これは家族など親密な関係でも同じ。他者理解は対象の人をそのまま理解するのではなく(それは当の本人でも不可能)、その場の役割などの断片を理解する人の中で(再?)人格化するプロセスをとる。

 その関係の担い手である個人は、その役割的側面以外の可能性を全く排除したかたちで関係を形成するわけではないのだ…(中略)…だからいつでもそうした別の行為の可能性へと逸脱する可能性がある。
(p106)


なんか異様に面白そうな箇所なんですけど…ここの()書きにルーマンの社会システム論と共通しているところがあると書いてあるから余計に…
第5章は秘密。ジンメルの考えでは嘘や秘密は、勝手に他者に自己イメージを形成されてしまう個人の抵抗手段なのだという。嘘は積極的に他人の自己イメージ形成に働きかけ、秘密は消極的に働きかける。

 人間の全交流は…(中略)…各人が他者について他者がすすんで明らかにするよりもいくらかはより多くのことを知っているということにもとづいている。
(p146)


これも意外な発想で「どうやって知るのだろうか」と思うけど(対面している様子などで自ずと伝わってくるのだろう)、ジンメルはこうした過程が人間交流をいきいきとさせると考えているみたい。さっきのp106の箇所もそうだったけど、この辺ジンメルの思想の核が見えてきそうで掘り下げてみたいところ。
(2014 09/08)

「ジンメル・つながりの哲学」読了


菅野氏の「ジンメル・つながりの哲学」を読み終わり。闘争論は反発も含めての統一体であるということ。貨幣論は貨幣の流通が人々の自由を加速したとともに、それ自体目的化し倦怠等が生じるということ。モダン文化論はジンメルの言葉で言う男性的→女性的(分化→統合)の遷移が始まっていること。など。

 ある貨幣の額に対する人間が抱く喜びの量は、それで何かを実際現実化した場合より大きい
(p195)


またもや微妙な味わいの文章。
(2014 09/10)

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