即興的ワルツ
「えへ、なんとウチ、ピアノコンクールで特別賞をもらったんだ、入賞者演奏会ってのがあるから観に来てよ」
と、サチが差し出すチケットを、えーすごい、と私は受け取った。「絶対来てねぇ」とニヤニヤするサチに私はきいた。
「このコンクール、すごいの? プロになれちゃうみたいな?」
「それほどじゃない。でも賞を獲ったひとはめちゃうまだよ」
もちろんウチもねー、と鼻を膨らますサチに、私は「りょ」と答えた。
サチは高校のクラスメートだ。
実は中学も同じ。でも元々は同じ高校に行く感じじゃなかったと思う。中学2年生まで、私の成績は学年順位1桁の常連だった。でも3年生になる頃に、すごく落ちた。病気にかかってしまったからだ。命に関わる病気じゃ”一応“ない。でも治ったり悪化しそうになったりしているうち、怖くなって頑張りたくても頑張れなくなった。調子が悪い時期は何日も学校を休んだ。定期試験を受けられなかったこともあった。そうなるとあっと言う間。プライドや居場所にしがみついても無理。人生は罠だらけ。
そんな事情で決まった進学先にサチがいた。「同じ中学にいた頭のいい人!」って声を掛けてきて恥ずかしかった。こっちの事情をわかっているようだった。私はサチのことを良く知らなかったけれど、「校内の合唱コンクールでピアノを弾いてた子」だったことをうっすらと思い出した。ノリながら弾くので目立ってた……。
「そう、ピアノ! ウチ、ピアノばっかりやってるから、勉強はギリギリなんだ」
そして「ウチはもう、ピアノしかできなくて泣く」と笑いながらこう付け足した。
「なのに、なかなかコンクールの本選に行けないんだよね、色々出てるのに」
そんなサチが「今回は本選出場!」と言っていた。その結果がこのチケットだ。
***
演奏会の席に着き、受付で貰ったパンフレットをめくり、受賞者の紹介を読んで「ぐはっ」となった。サチや私がいるのと違う世界がある。
例えば高校生の部で最優秀賞を獲ってるコイツは何だ? 色んなコンクールで賞をもらって、超難関校(私が行きたかった所だ)にも通っている。コイツだけじゃない、みんなキラキラしてる。小さいころから音楽を習い、有名な学校に通い、沢山賞を貰い、見た目も育ちが良さげ。音楽でも、そうでなくても、どんな風に生きても成功しそうな匂いがプンプン。
勝ち組、ガチャ大成功って言葉を思い浮かべてしまう。環境ガチャ、才能ガチャ、そして健康ガチャ……。
その中でサチのプロフィールのモブっぷりと言ったら悲しいほどだ。特別賞っていうのは「良いけれどランク外」ってことだと知った。それでも充分すごいのはわかるけれど……。
受賞は今回が初めて、通っている学校は「地味」、顔写真は制服で自撮り。「ピアノが大好きです。はじめての受賞嬉しいです」ってコメントなんて小並感じゃないか。受賞したって聞いたときは、いよいよサチの才能が認められたのかもって思った。でも、そんなに甘い話じゃない……。
名前を呼ばれてサチがステージに出てきた。他の子のようなドレスじゃなくて冠婚葬祭ワンピースみたいなのを着ている。胸には小さなコサージュ。どっちもネットのセールで買ったって言ってた。客席に向かってお辞儀をし、顔を上げたサチと目があった。小さなホールだから席とステージが近い。サチの様子がよく見える。サチは鼻を膨らましながら椅子に座り、ぺろりと唇を舐めながら手を構え、シュッと息を吐いて指を鍵盤に置いた。
演奏が始まる。
心のうちを深く慎重に探るような音が連なり、それが慌ただしい駆け足にスイッチ、そんな出だしを経て三拍子の曲が始まった。明るいのに切ない、切ないのに明るい旋律が踊り出す。それと同時にサチがノリ始めた。
曲はリストの「即興的ワルツ」――。
ねぇ、サチ? あんたはどう思う? パワフルでキラキラして恵まれた奴らしか上に行けないこの世界に、私たちの居場所なんかあるんだろうか?
でも、サチはこんなに楽しそうに幸せそうに、全身を揺らしながら指を鍵盤に踊らせている。サチの指はくるくると回り、ひらりと飛び、また回る。ダンサーみたいに。曲のうねりに合わせてステージの天井を仰ぐサチの目には、自分の演奏が生み出す風景が、それだけが映っている。それは青い空をゆく雲のようにサチの瞳の表面を流れ……そして私の目にも……。
何やってるんだよ、サチ。今回は賞をもらったけれど、これを続けたって未来なんかない。周りはレベチの強キャラばかりじゃないか、厳しい競争に生き残るのはそういうやつらで、サチの出る幕なんてない。サチだけじゃない、私もそうだよ、私も……。そう思うのに、見るほどに聴くほどに痛いのに、私はサチのステージから目が離せなかった。
訳がわからない。鍵盤から指を離し、椅子から立ってペコリとお辞儀をするサチの姿が涙でぼやけて見えた。もうなんだかわからないけど、エモくて、エモくて。