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頑張ってって言わないで(前編)

「頑張れ」


という言葉の使いどころは難しい。「頑張れ」と声をかけることで、逆に人を傷つけて、頑張れなくしてしまうことがあるかもしれないから。


例えばうつ病の人には「頑張れ」と言わないほうがいい、という常識がある。うつ病になるほど頑張っている人を、さらに頑張らせてはいけないから。

「頑張れ」という言葉の難しさが、最近知られるようになってきた。それは決して悪い言葉ではない。気軽に使う言葉だったのに。いつでも使える挨拶みたいなものだったのに。


人が誰かに「頑張れ」と言うのは善意から。傷つけようとして、わざわざこの言葉を使う人は少数だと思う。でもそれを、わたしは言われたことがあった。色々と含むところがあった「頑張れ」を。まだ子どもが小さくて、2歳になるかならないかの頃だったと思う。

わたしはそれを、当時かかっていた小児科の看護師さんに言われた。


元気だと思っていた子どもの体温を何気なく測ったら39度を越えていた、という経験がある親は少なくないと思う。目の前にいる子どもは元気に見える。でも、身体を触ると何となく熱い。そこで体温計をわきの下に差し込んでみる。するとびっくり、発熱している。しかも相当な高熱。これこそまさに育児あるある。

とりあえずは平穏にこなしていた日常が、電子体温計のデジタル数字を見た瞬間ハードモードにスイッチする。これは何度経験しても慣れない、嫌なものだ。


そういうとき、親は慌てる。子どもが小さければ小さいほど慌てる。子どもが発熱したときの一般的な親の脳の中は、アドレナリンドゥバドゥバのバトルモードになっているのではないか。冷静でいられるのは医療従事者くらいではないか。

子どもは自分の調子の悪さを伝えるのが下手だ。子どもははっきりとどこが悪いと言わない。でも、言えないだけで。すごく具合が悪いのかもしれない。

だから親は子どもを小児科に連れて行く。薬は必要ない、受診すら必要ない、翌日には治る風邪かもしれないけれど、多分きっとそうなのだけれど、それでも連れて行く。だから小児科はいつも混んでいるのだと思う。


(コロナ禍以降、発熱した子は『発熱外来』に連れて行かなければならなくなった。だから小児科は以前ほど混まなくなったかもしれない。ただ、『発熱外来』の予約取りは時期によっては大変だ。特に感染症の流行期は受け入れ枠があっという間になくなる。争奪戦と表現しても言い過ぎではない)


わたしにも同じことがあった。目の前の子どもが元気そうなのだけれど何かがおかしい。何かってつまり何? それを説明するのはとても難しいのだけれど。この「何かがおかしい」という親の直感は不思議なことに大体当たる。体温を測ると39度。高い。これはもう小児科受診だ。いつ行くの? もう時間は午後3時を回っている。なら、今でしょ!


一般的なクリニックの診療時間は、平日の場合は午前9時から正午までと昼休みを挟んで午後3時から6時ごろまで、土曜は午前だけ。休日、夜間も診療するなど、クリニックによって違いはある。でも大方はそんな感じではないか。子どもがお世話になった小児科も基本はそうだ。けれど午後の診療開始が3時ちょうどではなかった。3時にクリニックは開くが、通常診察の前に、健診や育児相談の時間がある。わたしはその時間に行ってしまった。


行って、看護師さんにいつもの診察室とは違う部屋に通された時に気付いた。「あ、やらかした」と、冷汗がでるような瞬間。お世話になっている小児科の診察時間を間違えるくらいわたしは慌てていた。子どもの急な発熱に驚いたからだというのはもちろんだけれど、それだけではない。少し込み入った事情があった。


わたしはこの少し前、稽留流産を経験していた。これは、胎児がお腹の中で死んでしまうもの。何が悪くてそうなるかというと、「運が悪い」としか。原因は胎児の異常だという。最初から「育つことができない命」だったということ。

死んでしまった胎児は、妊婦健診に通っていればそこで異常(心臓が止まっている)がわかるから手術で出す。けれど健診に通ってもタイミングが悪ければ「出てくる」ことがある。わたしの場合は「出てくる」ほうだった。胎児の心臓が止まっているのがわかって手術の予約を入れたけれど間に合わなかった。そういうこともある……。


「子どもは死ぬ。死ぬときは死ぬ。あっさりと、よくわからない理由で死ぬ」


診察時間外だと気付かずに小児科に行ってしまったのはそのせいだ。ハードな出来事があって、すごく疲れていて、それでも動く必要があったからだ。自分が動くしかなかったからだ。だって親だから。というより、目の前に子どもがいるから。


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