書いては消して

 去年の暮れ、「本を作りたい!」と思い立ち、それから文章を少しずつ書いている。

 まったくの素人なのに、本を作れるのだろうか…という不安もなくはないけれど、調べたり、人に聞いたり、としていくうちに「きっとなんとかなるだろう」という謎の自信が生まれた。
 それと、本を出すには載せるものがなければ始まらない、という当然のことにも行き当たり、結局は書くしかないので書いている。

 ここからは書いていく環境が変わっていくことについて。

 最初は、すぐ出来る原稿用紙を買って手書きで書くというスタイルから始まった。全部で10篇くらい書いただろうか。でも段々書いている途中で文章を書き換えたくなる衝動が強くなり、紙に書くという難しさを知った。
 原稿用紙に書く、というのは少しの憧れもあり始めたのだが、作家の人など頭の中である程度推敲できる人にはいいのだろうが、私には向いていないのかもしれない。

 次に、本にするには書いた文章をデータにしなければと思い、キーボードをスマホに繋いで打ち込むことにした。
 これがよかった。文章を縦書きで書けるアプリに文章をまず原稿用紙の通り打ち込む。ある程度溜まったら、今度は全体を見て修正。データだと書いたり消したりが簡単だし、そしてなによりキーボードがあるとすごく捗る。友人のK、ありがとう。
 データ化が進んだ。

 それからは新たに先ほどのスタイルで文章を書いていった。そしたら気分がノッてくると書きすぎてしまうという自体に陥った。そして文章のだいたいの文字数を決めていなかったことに気づく。気づくのが遅かった。800字〜3000字の長さもバラバラの文章が出来上がり、頭を抱えた。アホすぎる。

 そうすると今度は書けなくなってしまった。
 調子的にもあまり良くなくて、寝る時に「また今日も書けなかった」という日が続いた。自分で決めたことが出来ないのはけっこう落ち込む。それが一ヶ月ぐらい続いただろうか。

 転機は、人のエッセイを読んだことだ。
 好きな小説家が居るのだが、その方が連載で書いたと思われるエッセイを偶然本屋で見つけたのだが、それが、読んでいて心地よい。
 月イチ連載だったのだろうか。季節のことやいつかあったあれこれについて、その方の感性でそれを読むことが出来る。
 読んでいて自分の文章を振り返ると、私の場合はタイトルを決めてその話をする、ということに特化していたように思う。それはそれで形としてありだとは思うのだが(そういう形式の誰かのエッセイを読んでもとても面白いと私自身思う)、でもそれで自分が行き詰まっていたのなら、すこし形を変えて書いてみるのもありかもな、と思った。

 そして私は先週から、週一回の連載方式の文章を書き始めた。これなら、週に1篇出来上がるし、書かない日も負担にならない。それにもし書きたいことを浮かんだのなら、また別に書いてもいいし。起きたことや話したいこと、なんでもいい。選別はあとから出来るのだから。
まだ始めたばかりだから合うかどうかはわからないけど、続くといいなと思っている。


 書いては消して、消しては書いて。
 そんな日常になりつつある。
 これからすこし忙しくなるから、週一回だと私自身ありがたい。
 今のところはそんな感じ。

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