食育の在り方が、文化を表現する。Candlebark 3
公立の学校と違って、ランチを持参しないキャンドルバーグは、
8:45-15:00までの間にティータイムとランチタイムの2回ご飯を食べる時間がある。
パン、サラダ、ハム、チーズ、フルーツ、ジャム、ハチミツ。トースターやホットプレートも常備されていて、時間になると子どもたちが自由にクッキングを始める。
食べてもいいし、食べなくてもいい。りんご片手に外へ走りに行く子もいる。
ランチは日替わりで給食のおばちゃんがいつも一品用意してくれる(ベジタリアン用もある)。それがめちゃくちゃ美味しい。
昼前になると良いにおいが漂ってきてお腹がすくし、体調によって自分で判断してよそえる。
木曜のティータイムはケーキの日。ケーキ作りに興味がある子どもが前日に給食のおばちゃんと作るんだとか。
最後まで食べなさいと、居残りする事もない。
嫌いなものひとつだけでも食べてと言う事もない。座って食べなさいと言う事もない。
食べたいもの食べて、好きに遊んでおいで!という自由な時間。先生も談話をしてゆっくり過ごす。
食事の仕方は、日本と大きく文化の違いに現れるなぁ。
(⬆︎葉っぱケーキ)
【日本の食育文化はなにを選択するのか】
何が良くて悪いのかを言いたいのではない。
米粒ひとつ残さず食べる事は、私の得意分野で、大切にしている事。
残れば冷凍するか、アレンジして次に使う。
堆肥小屋が出来てからは、残ってしまっても土に還る事を実感し、安心、心の余裕も出来た。
いるかビレッジの保育園ちゃいるーかの森でも、「お腹と相談して、食べれるだけお茶碗によそうんだよ」とよく声をかけた。
食べきれないときは、おにぎりにして、おやつの時間に食べるんだ。
なんとか少しでも嫌いなものを食べた時に、意外に美味しかった経験や、達成感。食べれなくても大きく問題はない。
そのタイミングで食べ物を大事にする事を伝える日本の文化。
お米にも野菜にだって命がある。
**「お米一粒一粒に仏様がいるから、残してはいけない」これを教える日本の文化なら、自然とのつながりを取り戻せる。 **
いるかビレッジのおじいちゃんは、全員の前でこう言う。(一部、口が籠って聞き取れない。)
「箸とらば、雨土みよの恩恵み、〜〜味わい、一つのお米も残してはなりません!いただきます!」と言う。
全員で手を合わせて「いただきます」といい、同じ時間にスタートする。いただきますの声が小さかったらもう一度仕切り直し。
わたしは今「いただきます」を言わない国にいる。
それでも、いつも手をパチッと合わせてから食べる。私にはそれが染み付いていて辞めたくない。(私めっちゃ日本人!)
その行為の意味を知っていて、誇りに思っているから、続けたいんだ。
(ちゃいるーかの森、親子で梅干し作り)
姿勢を正して座って食べる日本の文化。
「肘をつかない!」とよくお母さんに言われた。今でも立ち歩いて食べるのはしっくり来ない。「行儀」の教育は日本人特有なのか分からないけど、少なくとも「行儀」は日本の文化。
**その習わしの基礎に「共感」や「寄り添い」なく、目的を持たずに進めば、ただの「しつけ」「コントロール」に変わっていく。 **
日本人がその習わしを続けていく選択をするなら、今一度、習わしの素晴らしさに気付き直す事が大切だと思う。
今は戦後ではない。食料もある。時代は変わっている。
何を残して伝えていく?
食事の時間のコミュニケーションは、食に対する教育のチャンス。教育の中でも大事にしていきたい。
(ちゃいるーかの森のサンマパーティ。楽しみながら、魚の食べ方を学ぶ)