それなりの理解
それなりの理解で、終わらせてしまうのはもったいない。
言葉の意味の理解は人それぞれである。
私たちは、同じ言葉を使いながら、理解が微妙に違っていたりする。
縦横、奥、薄く厚く、広く深く、微妙に違う。
例えば「多様性」という言葉。
多様性のことを思い切り人生かけて研究してきた人がつかう多様性と
最近かじって自分なりの理解を見つけ出した人とでは
「多様性」という言葉で繋がれることがあっても、お互いの理解で留まってしまうのはもったいない。
その言葉にはどんな理解があるのだろうとか、自分が知らない意味を持っているかもしれないとかっていうスタンスで話を聞きたいなと思っている。
(主張したい!って思ってる時はなかなかそうはいかないな。)
何が言いたいかというと、
言葉で分かったつもりにならないようにしたい。
その言葉やストーリーは、あくまでもその人の過去や想いが込められているので、それに囚われて振り回されないように(人にでなく、自分自身にもそう)。
なんならもう、言葉もストーリーも横に置いて、雰囲気からどんなニーズなのか見てみる。http://nvc-japan.net/data/Feeling&Needs+intention.pdf
そのニーズも言語化する。それさえその人のものであるわけだから、分かったつもりにならないようにしたい。(自分のニーズは自分でしかみたせないと言うことでもある?)
分かり切らなくてもいいから、知りたいという好奇心や行動が、人と繋がる瞬間なんだと思う。
ただその前に、やる事がある。それは、自分のニーズと繋がっておくこと。
しんどいならさ、自分を癒して、その次は勉強して自分で変わってこうよ。
しかも、癒しと勉強は同時にできるよ(これは私の理解)。
小さな体感から学んできている話だけど、自分なりに分かってきた話。
2月から学び始めるNLPも、どんな「理解」との出会いがあるか楽しみにしている。