母の価値観で生きて来た事に気づき、本当の我がままって可愛いんだって知った日❣️
初めまして、こんにちは
新里史、こと、ふみちゃ。です。
私のビジョンは
「わがままを素敵に着こなし各々が夢を熱く語れる社会を作る」です。
なぜ、このビジョンにたどり着いたのかをこれから少しお話しさせて下さい^ ^
私は小さい頃、「わがままかだんでねんだな〜」とめおっかーによく言われ、
子供ながらに、「思った事言ってるだけだのに、なんでわがままになるのかな〜??」って、不思議でした。
私が社会人1年目の時は、安室奈美恵全盛期の時代です。
ミニスカートにロングブーツを履いて、出かけようものなら、
「なんだっけ、そすたなかっこして。おしょすいごだ」と小言を言われ、
友達と遊んで朝帰りしようものなら
「朝帰りなんて、誰がにみらいだら、なじょすんのや。」とまた小言。
このように、母はとかく人の目とを気にする人でした。
まー、宮城のド田舎で近所付き合いが超濃厚な地域にとつぎ、その中で生きていくに母も必死だったんだな。ということも今なら分かります。
でも、当時の私はそんな母が大嫌いでした。
だって、母は
「私の事より、自分の体裁のほうが大事です。」と言っている様に私の目には写っていたからです。
さらに母の、嫌いな面は続きます。
母はさっきまで仲良く話していた近所との友達が帰ると、父にその友達の愚痴をこぼすのです。
そんな母の2面性を間近で見ていて、小さい頃は
「言ってるとこが違うけど?????」くらいでしたが、
中学生にもなるともう、
「ムカつく。キモい、大嫌い。」となっちゃって、、、。
大嫌いと思っていたはずなのに、それでも、母の考え方はしっかり私に染み付いていたのです。
・出来る人やリーダーの意見に合わせる。
・目立たぬように、突飛なことはしない。
・でしゃばらない。
・人に迷惑をかけないように。
中学生だった私は、上のような行動を普通に無意識にやっていました。
みんなに合わせる事で、みんなに注目されずに何事も起こらず、済んだという安息を感じていて、
みんなに合わせる事でしか自分の居場所を保てない様な感じの漠然とした不安は持っていた様に思います。
しかし同じ友達と過ごす期間が長くなって来ると、いつも生き苦しさを感じ始めるのです。
今思えば、
心の中では、主役になりたいといつも思っていたのに、
みんなに合わせる、発言力のない、目立たない脇役を演じている事に窮屈さを感じたんだと思います。
そうです。この頃から、私の2面生が生まれたました。
この、表と裏のチグハグ感が、窮屈さや息苦しくさを引き起こし、それがマックスになると、
その場から逃げるように、別の友達を探し、中・高と友達をかえ、しまいには地元を離れて、沖縄に移住したのです。
沖縄に住んで最初の頃は、半端ない開放感を味わしました。
人っ子1人、知り合いがいない世界です。
やっと息が吸えた〜〜〜〜〜!!!!と幸せでした。
息苦しくても、それなりにやって来れた、宮城時代。
沖縄に来て、あれだけの開放感を味わったのも束の間。
「それなりに」と言う事すらもできない事態が目の前にやってくるのです。
それは、子育てでした。
大人との付き合いなら、「それなり」にお互い合わせたり、話したらわかるのに、子供はそれが全く通じませんでした。
赤ちゃんのうちは、おっぱいあげて、オムツを変えて、おままごとをしている、かのように楽しんでいたのですが、
子供の自我が芽生え始める年齢になると、、、、、。
育児ノイローゼに一歩、足を突っ込みかけました。っていうか、ほぼそうでした(汗)
お出かけ中のお漏らしにもイライラ。
スーパーで駄々こねられてイライラ。
分かってるんです。
怒ったってどうにもならない事は重々承知です。だけどイライラが止められないんです。
スーパーだし人の目もあるから、
私頑張って子供に怒らずに説明しましたよ。
それでも、大声で泣かれるんです。
こうなると今度は、子育てできないダメな母親だと見られているだろう。と言う被害妄想が働き、周りの人の視線が怖くて、惨めで恥ずかしくて、大泣きしている子供を抱き抱えて、逃げる様に車に乗り込み、
「なんでわがままばかり言うの?」
「出来ないって言っているのになんで分かってくれないの?」
「ねー、もしかして、ママの事嫌い?嫌がられしてるの?」
「ママどうしたらいいのかもう分かんないよ😭」
と声を荒げて、泣きながら、子供にあたってしまいました。
友達の真似をしたり、保育園で教わった様に、怒らないようにと子育てをしてみても、
我慢すればするほど、反動で大きくブチギレちゃうんです。
同じ保育園のママさんに、優しく声かけられても、見下されている様に感じて、さらに惨めになるばかり。
子供にそんなに愛情を持てない自分も感じていたし、
言うこと聞いてくれてる時と、寝てる時しか可愛く見えないし、
私は怒ったり、泣いたり、の繰り返しばかりで、
子育てがうまく出来ない自分に劣等感でいっぱいになり、自己否定しまくりでした。
そんな中、とあるコミュニティと出会い、私は子育てに執着していたのだと気づかされ、一旦目を背けるということを学びました。
子供への執着を手放せたコミュニティで、自己成長を学んで行くうちにまたあの生き苦しさがやってきたのです。
言いたいことを言えない苦しさ。心の声を言葉にしてたら、出来ない奴だと諦められるのでは、見放されるのではと言う恐怖感。
心の声と、発する声の違いにもやもやする毎日。
このモヤモヤの中、You Tubeやボイシーで
「何を感じてもいい、何を言ってもいい、みんな違うだよ」って事を学び、
初めて、逃げ出すのではなく、自分の口から「嫌です。やりたくないです。」って言えたのです。
あれはパート先の駐車場、自分の車の中で昼休みを過ごしていた時の事でした。怖くて怖くて変な汗かいて泣きそうになりながらも、頑張ってメッセンジャーで「やりたくないです」って一文字を打つ事ができました。
たったこの一言を言葉にするのに、私は44年かかりました。
やっと自分の心の声に素直になれたのです。
それからは、
「私のように生き苦しさを抱えている人が幸せになるお手伝いをしたいから講演家になりたい」と思うようになりました。
けれども、ばーーーーーっと出てきたやる気はほんの一瞬で、いつも続かないくて、
なんでこんなにやる気が起きないんだろう?
どうしたら、やる気って出るんだろう?と思っていた時に、LMC協会の
「情熱の源泉を掘り当てる」って言葉を聞いて、
「これだ‼️」と思いTWを受講しました。
TWで習う、
安心、安全、ポジティブな環境が大事。うんうん。確かにわかる。
リーダーはスキル。確かに確かにっては思う。
でも受講後の感想文は「本当にライフミッションなんて見つかるの??」って斜に構えてた感想ばかり。
2回目の終わり辺りで、
「結局、ライフミッションって自分で見つけるんじゃん💢」と思っている自分がて、
そうなんです。
私はTWを受ければ、勝手に目の前にライフミッションが登場すると思っていたのです。
「なーんだ結局自分で見つけるのか〜」と思ったものの、宿題もあるので、とりあえず、LMSを作ろうと、自分と向き合ってみました。
そこで再度自分に聞きました。
「なぜ、公演家になりたいの?なぜ人のために頑張りたいの?」って。
そしたら、答えは簡単でした。
「私は人に感謝されたり、スゲ〜って思われる人になりたい!そして、自分が輝いていたい!」それが本音でした。
公演家や人のためは、まさに大義名分でしかなかったのです。
そして4回目の講座でLMSを発表する時、少し怖かったけど、感じたままに
「人に感謝されたい!スゲーって言われたい!自分が輝いていたい!」と話しました。
すると、講師から泣き笑いとともに
「ふみちゃ。面白い!。今、表も裏もなかったよ!全部表のふみちゃ。だったよ〜」の言葉におっ❗️と思いました。
そして、本当だ〜!私丸裸だ〜〜〜!!って、ちょっとおかしくなりました。
更に講座中に
「TWは幼少期に叫べなかった心を叫ぶ場だよ」と言われて、私は何かな?って考えたら、「好きにさせや!!!」でした。
そしてやっと気づいたんです。
私の思考、行動は、母の影響を受けていた事を。
わがまま言わないように、人の目を気にして生きて来た事で、自分の思いを言葉に出来なくなり、生まれた裏と表の2面性も、
人に判断を任せてばかりで、自分で考える事や、責任を取ることもから逃げて来た自分も。
44年間母の価値観で生きてきたから、苦しかったのです。
これからは表だけで生きていきたいとこのLMSを書いて気づかせてもらいました。
子供の頃思った事を口にした。
それは誰かに迷惑をかけたくて言った事ではなく、感じたまま、思ったまま、ようは《我のまま》でした。
私が発した言葉に都合悪そうにしている母を見て、私は(わがまま)=人に迷惑をかける事と変換していたのです。
でも、違う!
わがまま=我ままって実は素敵なことで、唯一無二の個性であって、尊重されて輝くべきもの、誰もが主役なんだと思いました。
私のライフミッションは
「わがままを素敵に着こなし各々が夢を熱く語れる社会を作る」というビジョンを目指し、自ら上を向き、もがきながらも進み続ける事。体現していく事です。
そして、その姿は誰かの勇気になる。と思っています。
以上、ふみちゃ。のライフミッションになります。
お聞きいただきありがとうございました😊
あっ、最後にもう一つ我がままを✨
ふみちゃ。の1day受けてね😉
ねっ❣️我がままって可愛いでしょ😘
お・わ・り