去年の今日はイルミネーション点灯式
博多駅前のイルミネーションが今年も点灯したらしい。今年はゲストもなく、声を上げず静かに光を待つ。
去年はまさやんが点灯式でライブをするという知らせを聞き、思わずひとり大歓声を上げ、こういうのを小躍りするっていうんだろうというような動きで喜びを表していた。まさやんをゲストに選んでくれてありがとう と、心の中で何度も何度も知らないイベント企画の担当者に向けてお礼を言った。この日だけは何としてもと、予定をやりくりして時間を作ったことを懐かしく思い出す。
ラジオの公開録音もあると知り、時間に間に合うように仕事を切り上げ、バスでショッピングモールに向かう。薄手のチェックシャツにジーンズ、現れたまさやんの細い足に思わず見とれ、左手の薬指に光る指輪からは結婚して数年が経過しても、滲み出る夫婦、家族の幸せを羨ましく感じた。ガラス越しに話す姿、年を重ね、味のある皴が出来たまさやんと、私が初めてライブで観た頃のつやつやな肌に天然パーマ、いたずらっ子のような八重歯でニヤッと笑うまさやんを重ね合わせ、ひとりハンドタオルで目元を押さえていた。
去年の今日は全てを差し置いてまさやんファーストの日だった。公開録音での記念撮影は、ガラス越しではあったけれど、私の前にまさやんが来てくれた。たとえ偶然だったとしても、前後に並んで映っている写真は私の一生の宝物。
次は場所を移動し、博多駅へ。時間をつぶすために本屋さんに併設されたカフェで映画の原作「影踏み」を読みながら、ステージで歌う様子を想像し、心ここにあらずの状態で時を過ごす。気持ちを抑えきれず、会場付近のスクリーンに流れる映画のシーン、試写会で先に見た内容を思い出し、口ずさみながら開演を待つ。点灯式が始まる頃には、設置されたステージ会場だけでなく、2階通路も人で覆いつくされている。まさやんのいるステージをぐるりと大勢の人が取り囲み、博多の街全体から歓迎されているよう。まさやんの喜ぶ笑顔を見られ、生の歌声を聴けたのが、何よりの幸せだった。
知らないことばかり、開催と集客、赤字の不安につぶれそうになり、日々の目まぐるしい変化と止まることのできない忙しさの中で溺れそうだった私に、想像もできないようなギフトが与えられた日。
あれから1年、今日の私は中学校で行われた進路説明会に参加し、くたくたになって家に帰りついて、そのまま倒れ込んだ。去年とは全く違う一日。でも、これも私の一日。あの時、自信のあるなしに関係なく、やりたいことをやっておいてよかった。たった一度の経験だけれど、今の私にはできないことで、これからの私にも出来るかどうかわからない。自分の手でチャンスをつかみ、自分の欲望に忠実に行動した。
しばらくはこの体力じゃライブも行けないけれど、今年は怪我の功名ともいうべき配信ライブがある。新しい生活様式も捨てたもんじゃない、誰でもどこでも平等にライブを楽しめる権利を得られた。
博多駅のイルミネーションは見に行くことが出来ないけれど、まさやんのライブは参戦できる。
寝転んでいても、時間をずらしてでも、まさやんの歌を堪能しよう。今の部屋からは月も見える。
いつも背中を押してくれるこの歌を聴けることを祈りつつ
月明かりに照らされて