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たべものエッセイ 1
「ゴマの悲劇」
突然ですが。ゴマ食べてますか?
あのプチプチとしたヤツ。健康に良いらしいですね。でも、だからといって、ゴマ、あんまし食べないんだよなー。と思っている人は多いと思う。
実際、ゴマと聞いて何を思い浮かべるか? ほうれん草のゴマ和え、お赤飯に乗っている黒ゴマ。ゴマせんべい、ゴマ豆腐、ゴマ油……あらあら意外とすらすら出てきたりする。
しかし何だかイマイチぱっとしないんだよなー、というのがゴマ。まあ、あの大きさですからなかなか主役という訳にはいきませんね。
世間でのゴマという言葉の評判もあまりよろしくない。先ほどの、ほうれん草のゴマ和え、またはインゲンのゴマ和えには別名があって「ほうれん草のゴマよごし」「インゲンのゴマよごし」などといったりするのである。いいですか、アナタ「よごし」ですよ。大藪春彦さんの小説に『汚れた英雄』というのはあるが、あれは英雄が汚れてしまったのであって、ゴマよごしの場合はゴマが汚れの原因なのである。ヒドイではありませんか。言語界においてもゴマというのは「ゴマをする」「ごまかす」など、どうも下等な生き方を強いられているような気がする。
「ゴマをする」というのは動作から来たものだろうが、「ごまかす」の語源には2つほど説がある。1つは「誤魔化す」というもの。密教などで焚くあの護摩ね。あの護摩を焚いたあとの灰は、いかにもご利益がありそうだが、普通の灰を「弘法大師が焚いた護摩の灰ですよ」と偽って売っていたというところから来たという説。落語なんかでも「護摩の灰」という悪いヤツが出てきたりするが、それを職業にしている輩のことだろう。
もうひとつは食べ物としてのゴマのお菓子である。つまり「胡麻菓子」これは正確には「胡麻胴乱」という。文化化政年間に江戸にあったお菓子で、小麦粉にゴマを混ぜて焼き膨らましたもので中は空洞になっている(『広辞苑 第2版』岩波書店)。インチキっぽいお菓子から来たという説である。
ゴマの名誉のためには前者の説が正しいことを祈るが、この広辞苑第2版では後者の説をイチオシしている。
しかしゴマにはセサミンという物質が含まれていて、これが若返り効果があるとか高血圧に効果があるとか抗癌効果があるといわれている。ウィキペディアにもそのことが書いてあるが、記事全体が懐疑的な論調である。報告した研究者の名前も日本の山田さんとか田中さん、台湾の王さんなど不特定感が漂っている(山田さん、田中さん、王さんごめんネ)。
しかし、世間の評判は別にして、個人的に言わせて戴くと、ゴマってなかなか美味しいヤツである。
ここ数年ハマっているのが「納豆に入れる」というもの。これは、煎りゴマ(白でも黒でも良いけど僕は白ゴマが定番)を指でひねりつぶしながら納豆にパラパラ乗せ、納豆のタレと共にかき混ぜて食べる、というもの。この「指でひねりつぶす」動作を、グッチ裕三さんは料理番組で「ひねりゴマ」と言っていたが、ホント、スグレモノ。ネーミングセンスもイイね。グッチ裕三さんのオリジナルではないかも知れないけど。
あともう1つは、この「ひねりゴマ」をトンカツにふりかけてトンカツソースをかけて食べる、というものである。これは小田原の飯泉橋の西側にある「㐂左衛門」というトンカツ屋さんで出てくるものの省略形である。「㐂左衛門」では一人用のすり鉢とすりこ木が出てきて、その中に煎りゴマが入っている。それをすってからトンカツソースを注ぎ、カツにつけて食べるのだ。これが滅法旨い。椎名誠さん風に言うと、うまいのなんの。
この2つが今、いちばん気に入っているゴマの食べ方だが、もう1つ、禁じ手というべき最後の手段がある。それは、煎りゴマを、そのままゴソっと口の中に入れてむしゃむしゃ食べちゃうのである。これが香ばしくてお煎餅みたいでとても美味しい。鼻に抜けるゴマの香りとプチプチみりみりとした食感。たくさんのものを頬張っているという満ち足りた気持ち。もうたまりまへん。
ーENDー