28.3月4日
3月は別れの季節だ。
気持ちがずーっとザワザワとしている。
生みの母親の命日がある。
ひなまつりの次の日の早朝、母は息を引き取った。
朝起きて一階に降りると、父が私を抱きしめて言った。
「お母さん、死んじゃった」だったような気がする。
はっきりと思い出せるのは、あのとき父が泣いていたことだ。
静かに、悲しみとやりきれなさ、無力さを抱えながら泣いていたのだと思う。
なくなる前の日、祖母と一緒に、母に会いに行っていた。
もう喋れる状態ではなかったし、湿らせたガーゼを口に当ててしか水も飲めないし、瞬きもできなくなっていた。
乾いた瞳をやけに鮮明に覚えている。
私にはつらそうなところをほとんど見せなかった母のこんなにも弱った姿を見るのは、正直つらかった。
本人はもっとつらかっただろう。
もっとあのとき話せば、話しかければよかった、と、ずっと悔やんでいる。
闘病から開放された母は、病院から自宅に帰り、仏間に静かに眠っていた。
その母を目の前にしても、家にいるときに大泣きした記憶はない。
病室に行けば、母にまだ会えそうな気がしていたのだろうか。
母が死んだという実感が湧いたのは、お通夜のときだった。
お通夜で、1、2年生のときの担任の先生に、「つらかったね」だったか、声をかけられたのをきっかけに大泣きした。
先生も泣いてくれていた。
自分の中でせき止められていた「死」という現実が、他人からの言葉で溢れ出したのかもしれない。
火葬を終え、母は遺骨になった。
窯から出てきた骨は、とても軽かった。
頭蓋骨も、軽かった。
母が本当にいなくなったという気持ちばかりが残されていた。
なくなって数日後に、母が夢に出てきた。
夢だったのかはわからないけれど、会いに来てくれた。
本当にこんな事があるのか、と今思うと不思議だが、会いに来てくれて嬉しかった。
母の分までしっかり生きたいと、母の分まで祖父母に会いに行こうと、
3月になると思うのだ。