iOSは電気羊の魂が宿るか?

新型iPadのPR動画の内容が物議を醸しているようです。トランペット、ゲーム筐体、ペンキ、ピアノ、カメラ…などのガジェット類がプレス機に押し潰され、プレス板が持ち上がるとそこには新型iPadが現れる、という映像です。


これに対して否定的な意見が出ていて、特に日本からは不快感や悲しみなどの反応が多く見られるようです。


たしかに僕も面白い映像だと思った反面、もったいない、iPadがあればこれらのガジェットが必要ないというのであればオーバーな表現だな、という感想を抱きました。


僕はiPadで主に絵を描く事に使用していますが、以前は鉛筆でスケッチしたり、絵の具やマーカーで色を塗ったりしていました。


今はたまに下描きを鉛筆で描いて、それをiPadのカメラで撮影し、その画像を元にデジタルで清書していく、といった手法で使う程度で、あまりそれらの道具の出番も少なくなりました。しかし愛用していた物ですし、まだ使う場面もある事だろうと、捨てることはできないでいます。


そして今回の話題を目にした時ふと、「三種の神器」というワードが頭に浮かびました。皇室が代々祀っている神宝です。


僕は最近、記紀(古事記、日本書紀)や古墳時代など、古代日本の歴史に関する書籍や、YouTubeの動画などを見る事を楽しみとしています。


八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)


神話では、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に授けたものとされています。瓊瓊杵尊とは日本最初の天皇、神武天皇の曽祖父にあたります。


天皇は即位に際して、この三種の神器を所持することが帝の証となり、皇位継承の為には必要不可欠なものとなっています。そしてそれらは、天皇でさえも実物を見ることができないと言われています(一部例外となる事件はあったようですが)。


中でも八咫鏡、草薙剣に至っては、「形代(かたしろ)」が神事において使用されています。形代とはレプリカ(模造品)とは意味が違い、それらは実物と同じ神威を持ち、同じように祀る事で、神の霊が宿る依代(よりしろ)として機能します。


この形代であれ魂が宿ると考え、本物と同等にそれを大切に扱うという精神が、今回の件の日本人の反応に少なからず結びつくのではないかと思ったのです。


三種の神器の他にも「埴輪(はにわ)」にもその精神が見て取れます。古代の貴人が死去した際、生前付き従っていた人々をその墓に生き埋めにする殉死(じゅんし)の風習がありました。


そこで野見宿禰(ノミノスクネ)は土で作った人物や馬を生きた人に替えて、古墳のまわりに立て並べてはどうかと垂仁天皇に進言したそうです。天皇はそれを喜び採用した為、その後殉死はなくなったそうです。


埴輪は人を模したもの以外にも、動物や道具など様々なものがあり、実物と同じ役目を持ち、貴人の霊を鎮め守る力を持つものとされます。他にも家形埴輪は亡くなった被葬者の魂の依代となる事から、埴輪の中でも重要だと考えられています。


iPadの動画は基本CGのようです。一部実物を使用しているかは僕には判別できませんでしたが、実物かどうかはさておき、それらを愛用している人たち、無くてはならないと思っている人たちは当然かも知れませんが、それ以外の人たちも道具をぞんざいに扱い破壊するという行為に、嫌悪感を抱いた人はいるのではないでしょうか。


有機物、無機物、本物を模したものに対しても霊や魂が宿ると考え、愛着を持ち、敬意を払うという日本人の根底にある精神が垣間見えたような気がするのです。


新型、欲しい。でも僕の第1世代iPad Proくん、まだまだ使えるんだよなぁ。

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