24歳で脳腫瘍を取ったら色々失ったり見つけたりした6_再入院【高次脳機能障害】
さて、読んでいる方にはあまり関係がない話だけれど以前の投稿を作成してからだいぶ日が空いてしまい、半年ほど経って年が明けた。
その間に職場復帰もして骨も入ったりしていたため、そもどこまで話をしていたっけとなりつつあるけれど、記憶がなくなる前にさすがにこの続きを書いておこうと思う。
術後何週目かは忘れたので、題名は変更。
膿瘍治療
「とりあえず最低3週間は入院。あくまで「最低」で。」
1日2回だか3回だか、1回1時間の点滴による抗生物質投与が始まった。
この点滴がすごーーーーく嫌!
まず初日、点滴で抗生物質を投与して10分ほどで全身にかゆみが出て、しばらく我慢しているとお腹から何から上半身が全部真っ赤になった。
急いでナースコールを押して点滴を止めてもらう。
バンコマイシンという名前の抗生物質に対するアレルギー持ちである初めて判明した。
とはいえバンコマイシンは効果の強い抗生物質で、今の私の治療には他の選択肢がない。とのことで、通常30分〜1時間かけて投与するるところを倍以上の時間をかけて少量ずつ投与することに。長時間の点滴拘束生活が決定した。
次に、これはシンプルに私の体の構造の問題なのだけれど、腕を見ようが足を見ようが看護師さんもお医者さんも苦渋の表情になるくらい血管がめちゃくちゃ細いく、点滴の管をつけるところが見つからない。
特に腕については、小児アトピーで掻きむしったことが影響してか本当にない。
新人の看護師さんには緊張で失敗されることもあるので「もう気にせず3,4回刺してください〜」と言っておくけれども、ひどいときはある10回以上刺して尚とれない。
あまりに見つからない時には奥深くの血管を探すための機械がでてくる。奥深くまで、針を刺してグリグリリ探して、、こんなことをされて涙が出ないわけがない。
また、点滴のチューブは通常一度入れたら基本1週間とか差しっぱなしらしいけれど、私の場合はなぜだか早いと1日とかで詰まって使えなくなり、入れ直しになる。
生理食塩水だかを1日中流しっぱなしにする手段もあるけれど、これだと一日中点滴のキャスター付き台を引きずり歩くことになるし(めっちゃ邪魔)、試してみたけど何にせよすぐ詰まった。
ということで、
見つからないので差しまくり→すぐ使えなくなるのループの繰り返しにより私の腕はすぐに薬物中毒者ばりの内出血まみれに。(写真グロ注意)
![](https://assets.st-note.com/img/1737821076-Xy1E3I5SimnTlQo7kOf2xpCr.jpg?width=1200)
その結果、もう私の血管探しをやりたくないという担当の研修医の提案「ルート」と呼ばれていた施術をすることになった。
通常よっぽど血管が見つからない高齢の方に実施するもので、心臓の近くなどの絶対詰まらないような太い血管にチューブを刺し留置する(手術室で麻酔無しで実施!)。
最悪だったのが、どうやらこの施術の実施には資格(取得に実務経験を積む必要あり?)が必要らしく、それを目指した看護師が「やらせてください!」と頼みに来たこと。
頼むからこれ以上内出血を増やさないで欲しいから嫌と伝えても、「横にちゃんと資格がある先生がつくので!」と割と食い下がられた。
インフォームドコンセントって知ってんのかこの看護師。となりつつ全力で戦い、ちゃんと麻酔科医にお願いした。
麻酔無しでの手術室滞在はなかなか耐えられないもので多少騒いでしまったけれど、結果論的に言うと詰まらないし非常にストレスフリー。異物を体内に入れっぱなしにするわけなので、感染の危険もあるけれど、長期入院をする血管がない人には是非先生に相談して欲しい
そんな感じで腕からチューブを生やして2週間ほど生活した。
ちなみに点滴投与と同時にリハビリも復活。
職場復帰に向けた内容がメインで、pc入力とかをしていた(はず)。
元々ブラインドタッチ派だったので入力はいいけれど、結構苦痛だったのが読む方。視野障害のせいでPC も画面を半分隠したような感覚になり作業がしづらいし、文章を読むのも難しい。
視野の中に文章が収まらないので、横書きだと前文の最後→次に文の頭に視線をずらすときにどこを読んでいたか分からなくなる。縦書きもみひらきの中での位置が分かりづらく、読んでいた列はどれだっけ?となることが頻繁に発生。
読んでいる行がわかるよう、はるちゃんに透明プラをくり抜いた簡素な作りではあるものの私には非常に有用な道具を作ってもらってそれを使って読む練習をした。
手術前よりは読むのも遅くなったけれど、今は大分戻りつつある。
保護帽
1番苦慮したのがこれ。骨がないのでそこを保護できるものがないと外出→退院はできないと言われた。
病院指定のものはてんかん用の保護帽。「てんかん 保護帽」調べてもらえば分かるが、レスリング用?みたいなのあごまで保護材で覆われたなかなか仰々しい見た目のもの。これを20代の女性に着けて骨が入るまでの半年間生活しろと言うのだ。
もう断固拒否するしかない。何よりも季節は初夏に片足突っ込んでいる。直射日光の下でこんなものをつけていたら文字通り脳みそが半熟になってしまう。
代替案をもろもろ検討した後私が先生に提案したのは、普通の帽子の中に入れて使う工場勤務用のインナーヘルメット(アボネット社製、試用品を依頼できるので気になる方は電話してみてほしい)。これであれば外見は割と隠すことができる。
「これで死ぬときは諦めます!」と言っていたら、担当医からは「まあ人間死ぬときはいつでも死ぬから!」とのこと。そりゃそうだわ。
ということでインナーヘルメットの使用でこの問題はクリアした。
色んな人に会った
この章は私の備忘録用なので読み飛ばしてもらっていいです。
再手術前と同様、デイルームでは色んな人に会った。
よく覚えているのは二人。一人目は私と同い年くらいにも関わらず悪性脳腫瘍で治験を受けていた女の子。二人目は本当に30分位しか話さなかったけれど、がんの緩和ケアで毎月1回入院しているという女性。個人情報の観点から詳細は省略。
わかったことはーーーと書きたかったけれど、多分本人でない私がわかったふりをするのもよくないと思うので、そのような表現は控えておこう。
ただすごく平たい言葉だけれど、少なくとも、誰かが一緒にいてくれるっていうことが誰かの助けになるのだから、私がいてあげられる誰かにはそうしてあげたいと割と初めて思った。(サイコパス??)