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『RIZIN』 での花束投げ捨て問題で学ぶ、 これからの時代に備えるべきもの~評価経済社会の到来~

格闘技イベント「RIZIN」 での花束投げ捨てが問題化しているようだ。
試合前の花束贈呈で、 ごぼうの党 奥野卓志氏が、メイウェザー選手への花束贈呈で、 花束をリングに投げ捨てた行為が、「品位がない」 「恥ずかしい行為」と、ネットなどで批判されているらしい。

このニュースを見て一番に思ったのが
「来たか!評価経済社会が…」
時代の流れの転換期。その内容を、ここに記そうと思う。

ちなみに、ここに記した「プロスポーツ」 とは、個人または競技、 イベント自体にスポンサーがついたり観客が
お金を払って観戦する、営利目的で実施するスポーツのことを指す。


■プロスポーツとは


プロスポーツとは、スポーツであると同時にエンターテイメントでもある。
それは、ヤラセや八百長という意味ではなく、 娯楽産業ということ。 観客が普段の生活を忘れて特別な世界に熱狂するために、プロ選手は一般人以上に超人的でなければならないし、競技はドラマチックでなければならない。
そして、観客は普段の生活では出会えない超人たちのドラマを堪能することで、感動し、 熱狂し、 ストレス解消し、対価と引き換えに明日への活力をもらう。
なので、格闘技の選手が試合前に相手を挑発したりパフォーマンスで注目を集めるのは、 素晴らしい競技になるためのエッセンスであり、 本当に相手をバカにしているわけではなく、むしろ敵であるとともに試合というドラ
マを繰り広げる同志としての敬愛も入っているのだろう。 その証拠として、 素晴らしい試合の後、選手が相手選手をほめたたえるという光景はよくある。
そして、観客は、超人的な選手たちの試合というパフォーマンスを、エンターテイメントの中で楽しむべきであ
る。

■エンタメと現実の境目


しかし、今も昔もエンタメのエッセンスを本気でとらえる観客は一定数いる。
プロレスが良い例だ。
プロレスの場合、ほかの格闘技よりもエンターテイメント色は濃い。 「ヒール」 と呼ばれる悪役レスラーがいて、一見反則と思われるようなことも行う。
(厳密にいえば、レフリーの見ていないところや5カウント未満は反則とはならない)
試合中は悪いことし放題だが、きっとこの人たちも普段の生活では法律尊守で過ごしているはずだ。
しかしヒールレスラーは嫌われる。 もちろんエンタメとしてヒールレスラーにブーイングを送る観客がほとんどだが、中には、試合会場で悪意を込めて汚い言葉を投げかける観客もいる。
最近では、 SNS のリプライ機能を使って直接選手に文句を送る人も多い。 彼ら彼女らに、 エンタメと現実の境目はなく、ヒールレスラーは実社会においても 「悪い奴」 なのである。

今回の話に戻そう。
某政党の方が、メイウェザー選手へ渡す花束をリングに投げ捨てた行為は、上記と同じ 「エンタメと現実の境目がない」行為と言える。
試合前に選手同士で罵り合うことは、試合への期待感を上げるパフォーマンスとしてありえる行為だが、花束を渡す人は観客の一人であり、そのパフォーマンスに加わってもなんのエッセンスにもならない。 それどころか、
観客は現実の存在として他の観客から否定的なことを言われても当然だ。

■インターネットがもたらした恩恵と弊害


今回の花束贈呈の権利は、オークション入札方式で販売されたチケットの特典らしい。
4枚用意されたうち、最高金額の420万円で落札されたようだ。
インターネットが普及したことにより、こういったオークションに誰でも参加できるようになったのは、間違いなくインターネットがもたらした恩恵だ。

しかし逆に言えば、 金さえ出せば誰でもその権利を得ることができる。
どんな人が来るのかわからない。 これは主催者側の大きなリスクである。 エンタメと現実の境目がわからない人が一定数いる中、今回の騒動は、 まだ小さいほうだと胸をなでおろすべきことなのかもしれない。

■ 貨幣経済から評価経済の時代へ


『評価経済社会 : ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』 は、 2011年にダイヤモンド社より発行された岡田斗司夫氏の本である。 SNS が主流の時代、 評価の価値が貨幣の価値よりも高くなるというもだ。

例えば、ここ数年大人気の役者がいるとする。 高い演技力と甘いマスクで年齢性別問わず絶大な人気を得ており、出るだけで高視聴率が望め、貨幣経済に貢献する役者だ。 しかし、ある日、その役者が日常的に人種差別や性差別を行っていたことを週刊誌に暴露されたとする。
SNSが普及されていない時代なら、しばらくの自粛後、活動を再開するだろう。
しかし最近だと難しい。 なぜなら、活動するたびに SNS上でネガティブな評価が出回り、それをネットニュースで取り上げられ、 その結果起用した側にも悪い影響が出るからだ。
高い演技力や絶大な人気がある役者を起用して絶対的な売り上げとともにリスクをとるか、 演技力や人気はそこまでなくても悪い噂のない役者を起用して安定をとるか、後者の方が多くなるはずである。

今回に当てはめると、 主催者側が花束贈呈特典付きシートをオークションで用意したのは、貨幣経済の概念の上で成り立っている。 乱暴に言うと 「金さえ払えば誰でも手に入れられる」 というもの。
しかし、この一件で 「金さえ払えば〜」に大きなリスクが潜んでいるというのが明らかになった。 RIZIN に限らず、あらゆるイベント主催者は、今後リスクを回避するために、色々な策を考えるだろう。 そしてそのいずれも「金だけ出していればよいというものではない」 というものになるに違いない。

奥野氏にとって今回の一件は自身の評価を下げることになるだろう。 これから先、金を出しても手に入れられないものは増えるだろうし、 金を出しても逃げていく人も多いだろう。
なぜなら、 彼に近づくことで、近づいた人の評価も下がりかねないからだ。

そして、 SNSが普及した現在、我々一般人にとって、 評価経済は対岸の火ではない。
もし仮に今回の一件で一生懸命奥野氏の評価を下げる発信を行っているのなら、その発信が今後の自分の評価を
下げるきっかけになりかねない。

【参考文献】


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ふるってぃ(ふるやゆうこ)
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