今回の県知事選を世間が『TVvsネット』とか浅はかなことばかり言うので、一県民の考察と意見を言います
いやはやモヤモヤ…
今回の県知事選、『ネットメディアvsオールドメディア』だの『既得権益vs民意』だの、浅はかなVS関係で済ましてしまうので、すごく腹立たしいです。
さいとうさんに票を入れた人はみんな陰謀論に騙されたという人もいましたが、県民、そこまでバカじゃないですよ。
ということで、今回は、1県民からみた一連の流れから県知事選に至るまでを記していきます。
■それまでの兵庫県
今回の選挙戦の話になる前に、まずは斎藤知事以前について触れておきます。
それまで兵庫県知事は、前副知事が数期知事を務め、次にその時の副知事が知事になって、というのが約50年続いていたようです。
県民がそれに対して疑問符を持つようになったのはまさにコロナ絶頂期の2020年、井戸敏三さん時代の話です。隣の大阪府知事吉村洋文さんが先手を打って対策をしようとしていたのを鼻で笑っていたら、それをTVメディアが映していて、その後吉村さんが予想していたとおりにコロナが進んでいき、吉村さん正義!井戸さんは何もしない知事のレッテルがついてしまいました。
そこに追い打ちをかけるように、知事と県義会議長の公用車がセンチュリーだと文春に砲撃され「いやいや、世間がコロナで苦しんでる時に!」という総ツッコミが来るようなことになり「こんな県政じゃだめだ」と県民が思ってた時に出てきたのが斎藤元彦さん。
2021年の県知事選では50年続いた「副知事が知事になる」という慣例を覆して、斎藤さんが当選したのです。
■公約実施への評価
斎藤県政になってからは、私たちの身近にあることの改革を始めたこともあり、それ以前から人気のあった斎藤さんへの県民の評価はより高くなったと思います。
(今回の実績の中で「高校のトイレを綺麗にした」というのがあったのですが、そりゃ、汚いトイレを放置してセンチュリー乗ってたら、怒りも出ますねw)
中でも、65歳以上の県職員の天下りを廃止したのが、斎藤さん擁護派からは「いじめの原因?」とされています。真相はわからないですが、そういうところにまで切り込んでいたというのは、県民の評価に値して、一部の県議会や県職員に嫌われる可能性ってのはなくはないですね。
■パワハラは重要ではない
今まで、パワハラ報道のあった政治家の方々は、みんな発端が音声データです。
メディアで流される音声データの生々しさを聞き、嫌悪感を感じる人が大半です。
「そんなやつ早めてしまえ」
そういう気持ちになるのが多数です。
では、有権者である人たちも同じ気持ちなのでしょうか?
「公約を実現するためには仕方のなかったことではないか?」
という疑問を抱く人もいるのではないでしょうか?
ここで具体例を出して申し訳ないですが、前明石市長である泉房穂さんは、職員を恫喝する音声がメディアに流れ、パワハラの事実を認めて失職することになりました。
しかし、その後の市長選で再選を果たします。
なぜ市民はパワハラを実際にしていた市長を再選させたのでしょうか。
実は先出の音声データには続きがありました。
続きの市長の言葉には、市民への申し訳無さや、恫喝のもとになった、職員が仕事を怠ることに対する市民の安全性が損なわれることなどの説明があり、
「ただのパワハラではない」
「その理由なら怒っても仕方がない」
等と市民が気づくことになりました。
その後、市長の画期的な公約とその達成率なども報道され、目に見えて市が良くなっていったことも含め
「パワハラは良くないけれど、市長にはこれからも頑張ってもらいたい」
とジャッジしたのです。
このように、地方の首長の働きは公約の実現と生活が直結していることも多く、肌で感じることができます。
このときの有権者心理としては
「パワハラは許せるか許せないか」
ではなく、
「今までの公約実現がなくなるのと引き換えにしてでも、パワハラを許さないとしてよいのか」
になります。
■パワハラにも至ってない
今回の騒動で一番のポイントは、事実が出ていない、ということです。
おねだりにしてもパワハラにしても、伝聞だけで音声データが出てきていません。
決定打がないので、上記のようにパワハラの是非以前に、噂の域を出ない、ふわっとした現実味のない感覚が有権者の中にありました。
結果、満場一致で斎藤知事は辞職することになりますが、翌日から再選をかけて駅に立つ姿をテレビで見て
「これだけのバッシングがあったのになぜまた県知事になりたいのか」
と疑問に感じだします。
事実の出ないふわふわとした疑惑、そしてまた県知事に挑戦しようとする斎藤さん、彼の実績、それらが合わさり、
「ひょっとしたら見えない何かがこの裏に隠れているかも?」と疑念が湧き出します。
そんな中、立花孝志さんの選挙ハックが始まるのです。
■とどめの一藁
西洋のことわざに
"It is the last straw that breaks the camel's back"
(ラクダの背中の骨を折るのは最後の一藁だ)
というのがあります。
重い荷物を背負って疲弊しているラクダの骨は小さな藁一つで折れる、というふうにも取れるし、ラクダの骨を折ったのは最後の藁だが、それに至るまでたくさんの荷物で既に疲弊していた、ともとれる言葉です。
今回の立花さんの登場は、事実がでないことによる、ふわふわとした県民の感情への『最後の一藁』になりました。
「やっていない」とはっきり言われることで、モヤモヤとした霧が晴れたのです。
霧が晴れたら後は突き進むのみ。
斎藤さんの、過去の実績と「やっていない」という言葉があれば、投票先は自ずと決まるでしょう。
そうして、最終的に斎藤さんは熱狂的な方々の票が集まり、再選を果たすのです。
■
今回の斎藤さん当選については
『TV vs ネット』の構図ではなく、
「やったと言い切らずに盛り上げたTV vs やってないと言い切って盛り上げたネット」
もしくは、単純に
「噂 vs 実績」
だったと思います。
もちろんやっていないことへの事実も明るみにはなっていません。
しかし、事実が出ないままのおねだり報道やパワハラ報道をあれだけ過熱させなければ、反動によるもりあがりもなかったです。
また、テレビ関係者の方には"マス"メディアであることの誇り持っていただきたいです。
ネットはどれだけ大きくなっても"ソーシャル"メディアであり、TVとは全く違うものです。
数年前のTV番組なら「最近の選挙はネットを使ってこんなふうになってます」と特集でもして、配信中のユーチューバーたちにインタビューしていたと思います。
VSではなく、あくまで共存、そして相乗効果を期待してます。